夏の恒例行事といえばお盆ですね。
仏壇にお供え物をしたり、お墓参りをされたりする方も多いと思います。
ところで、お盆とはいったいなんでしょう。
ご先祖さまに手をあわせる行事であることは誰もが知っているのですが、その由来や詳しい意味についてはあまり知られていません。
そこで今回は、お盆の意味とルーツについてわかりやすく解説します。特に、お盆がわたしたちの生活(人生)にどのような影響をもたらすのかについて詳しく説明していきます。
この記事を読むと、毎年のお盆が待ち遠しくなるかもしれませんよ!
もくじ
お盆とはなんだろう?(お盆の意味)
お盆とは、わたしたちのご先祖さまやご縁のある霊魂をお迎えして、おもてなしをする行事のことをいいます。
一般にわたしたちは、ご先祖さまに対してこのようなおもてなしが行われる一定の期間のことを「お盆」と呼んでいます。
お盆になると、お寺の住職さんがおうちにお経をあげに来られたり、ご家族でお墓参りに出かけたりされるとおもいます。
このことからもわかるように、お盆というのは日本で古くから行われてきた伝統的な仏教行事です。
ちなみに、仏教ではお盆の仏事のことを「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼びますが、これが「お盆」という行事の正式な名称だと考えられています(「盂蘭盆会」が略されて「お盆」になった説)。
また、お盆のことを「精霊会(しょうりょうえ)」と呼ぶこともあります。
お盆には、おうちの仏壇にお花やお菓子、野菜で作った動物などをお供えしますよね。あるいは、お墓をきれいに掃除して、お花にお水、お線香をお供えしたりもします。
これらはすべてご先祖さま方に対するおもてなしとして行われるものです。
では、いったい何のためにこのような「おもてなし」をするのでしょうか。
このおもてなし、実は激しい空腹と喉の渇きに苦しめられ続けるあの世の亡者の世界(「餓鬼道(がきどう)」といいます)に転落してしまった霊魂に、この世から水や食料、ありがたいお経などを送り届け、救ってあげるためのものなのです。
このように、施し(ほどこし)をすることによって霊魂を助けようとする仏事のことを施餓鬼(せがき)といいます。
餓鬼(=苦しむ亡者の霊魂)に施す(=おもてなしをする)で施餓鬼です。
つまり、お盆とは、餓鬼道に落ちて苦しんでいるご先祖などの霊魂を、施しをすることによって助けるためにはるか昔から続けられてきた行事なのです。
お盆の時期は?
一般的なお盆の時期は、毎年8月13日から8月15日まで(16日までの場合もある)です。
もうすこし詳しくいうと、お盆の時期は地域によって異なります。
たとえば、東京の都市部や東北地方・東海地方などの一部の地域では7月にお盆の仏事が行われます(「東京盆」ともいわれます)。
また、毎年変動する旧暦にしたがってお盆を行う沖縄県や奄美群島などの南西諸島では、年によっては9月がお盆になる場合もあるのです。
ですので、日本のお盆の時期はおおむね7月から8月であり、9月にずれこむ地域もある、ということになります。
お盆にはなにをするの?
お盆の期間中に、ご先祖さまなどのご縁のある霊魂をお迎えし、心をこめておもてなしをしてから、またあの世へと送り出します。
ご先祖さま方のお迎え
盆の入りと呼ばれる13日にはご先祖さま方を迎える準備をし、夕方になったらおうちの玄関の前などで迎え火を焚いてご先祖さま方の霊魂を迎え入れます。
お迎えの準備の内容は地域や仏教の宗派によりさまざまですが、お墓を掃除してきれいにしておき、仏壇にはお花や精霊馬(しょうりょうま)を飾ったりします。
「精霊馬」とは、キュウリやナスなどの野菜を使って作る馬や牛を模したもののことで、ご先祖さま方があの世とこの世を行き来する際の乗り物になると信じられています。
また、迎え火は、麻殻(あさがら/おがら。「麻幹」とも書く。皮をはいだ麻の茎を乾燥させたもの)を燃やして起こします。
わたしの住む出雲地方では、お盆前の時期になるとスーパーマーケットやホームセンターなどで麻殻を購入することができます。
ご先祖さま方の霊魂は、この迎え火を目印にして、あるいは迎え火の煙に乗って、わたしたちのもとに戻ってこられると信じられています。
もっとも、最近はマンションやアパートなどの集合住宅にお住まいだったり住環境の問題があったりして迎え火を焚くことが難しいケースも増えてきました。
このような場合には、迎え火の代わりに盆提灯を用意して明かりを灯すという方法をとるのもよいとされています。
おもてなしによるご供養
さて、お盆の仏事の中でもっとも重要なものが、ご先祖さま方に対する「おもてなし」です。
お水とお線香
これがなくてはご先祖供養もままならぬというほどのお供え物の基本中の基本にしてベスト・オブ・ベスト、それがお水とお線香です。
ご先祖さま方の霊魂の立場からみると、わたしたちがお供えするお水というのは、喉の渇きをうるおす飲み水としてはもちろんのこと、大きく美しい海・川・湖にも、やさしい癒しの雨にも変化して、霊魂のあらゆるニーズに応えるものです。
また、お線香は、基本的には霊魂にとってのお食事にあたるものですが、水の場合と同様に霊魂が望むあらゆるものに変化してそのニーズに応える働きを持つものです。
わたしが敬愛する霊能力者の故・宜保愛子さんも、ご先祖供養の際にお水とお線香をお供えすることの大切さを説いておられます。
経済的困窮などの差し迫った事情がある場合には、お水にお線香、そして感謝の心と愛情さえあれば、たとえそのほかの物品を用意できなかったとしても、立派なご先祖供養を行うことができます。
お花
仏壇に生花を飾ることはとてもよいことです。色とりどりの美しい花は、あの世から帰ってこられたご先祖さま方の霊魂を癒します。
仏壇に供えるお花の置き方(方向)について悩む方がおられますが、悩むことはありません。
お花は、仏壇の左右あるいはどちらか片方に、わたしたちが眺めたときにもっともきれいに見えるように置きます。
つまり、お花は、わたしたち人間の方に向けて置けばよいのです。
なぜかというと、仏壇に飾ったお花を見て「美しいな〜」と思うわたしたちの喜びや清々しさといった心が、すべてご先祖方の霊魂に伝わるからです。
食べ物・飲み物
お盆の仏事が施餓鬼とかたく結びついていることを考えれば、まずはご先祖さま方に食べ物や飲み物などを十分にお供えすることが大切だということになります。
仏壇に落雁(らくがん)と呼ばれる干菓子やおだんごをお供えすることが多いとおもいますが、お盆だからなにをお供えすべきということは特にはありません。
菓子パンやお菓子、ビールや日本酒、お茶やおにぎり、自分が好きな食べ物など、どんなものでも大丈夫です。
わたし
とはいうものの、お盆は仏事であり、仏教では殺生(せっしょう)を厳しく戒めていますので、肉や魚を使ったお料理などのお供えは控えるというのが一般的です。
お経
ご先祖さま方にお経を読み聞かせてあげることもとても大切なことだとされています。
お寺の住職さんに来ていただいてお経をあげてもらったり、ご家族が仏壇やお墓の前に揃ってお経を読むのもよいことです。
ご先祖さま方の中には、わたしたちが読むお経を聞き、その功徳や真理に気づいて成仏への道を切り開く方もあるでしょう。
また、お経そのものは理解できなくても、お経のもつ力(経力)に導かれて救われる霊魂もあることでしょう。
わたしはお盆には仏壇の前で法華経(ほけきょう。妙法蓮華経ともいいます。)を読むのですが、特にその中の「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん。観音経ともいいます。)」という経文を好んで読んでいます。
おうちで仏教を信仰されている方は、お手元の経本の中からお盆のご供養に最適なお経が見つかると思います。わからない場合は、信心深いご家族かお寺さんに尋ねてみましょう。
また、無理にお経をあげる必要はありません。わたしたちが理解できないものを無理やり読んでみても、それを聞かされる側の霊魂(特に、まだ成仏できなくて苦しんでおられる霊魂)も同様に意味が理解できないことが多いのです。
ですので、ここはもう割り切って考え、ご自分がふだん話される言語で、ご先祖さまの霊魂ならびに自分と縁のある霊魂に対して、
わたくしはおかげをいただいて元気に生かされております。感謝申しあげます。」
というような感じの自分なりの言葉を唱えてあげてください。
それよりも、そのときにどんな「心」を持っているのか、そこが重要なのです。
わたし
盆踊り
そのほかに、お盆の行事として「盆踊り」が行われる地域もあります。
盆踊りは、お盆に迎え入れたご先祖さま方の霊魂を慰め元気づけるために行われる行事です。
盆踊りのルーツにはいろいろな説があり、施餓鬼の供養によって餓鬼道から救いあげられた霊魂たちが喜んで踊っている様子を表現したものだとする説や、鎌倉時代に時宗(じしゅう)という仏教宗派を開いた一遍上人(いっぺんしょうにん)がはじめた「念仏踊り」がルーツだとする説などがあります。
わたしも子どもの頃に盆踊りに参加したことがありますが、現在は人口減少の影響もあるのか、あまり見かけなくなってきたように思います。
「おもてなし」の際にいちばん重要なこととは
ご先祖さま方へのおもてなしのかたちにはさまざまなものがあることがわかりました。
では、おもてなしをするときに一番大切なことはなんだと思いますか?
正解は、もてなしのひとつひとつの中に、真心がこめられていることです。
では、「真心」とはなんでしょうか。
それは、ご先祖さま方に向けられた深い感謝と愛情です。
そういうわけで、ご先祖さま方に対する感謝と愛情の気持ちをこめて丁寧に奉仕するのであれば、おもてなしの「かたち」にこだわりすぎる必要はありません。
ご先祖さま方のお見送り
15日の夕方あるいは16日の朝になったら、ご先祖さま方の霊魂を再びあの世へと送り返します。
このときには麻殻を使って送り火を焚き、ご先祖さま方が煙とともにあの世へと帰っていかれるのをお見送りします。
また、ご先祖さま方の霊魂は水の流れに乗ってあの世へ戻るという考え方もあり、川に灯籠(とうろう)を流すことでお見送りをする地域もあります。
これを灯籠流しといいますが、長崎や熊本などの九州地方では「精霊流し(しょうろうながし)」といいます。
お盆はどこからきたの?(お盆のルーツ・由来)
お盆の仏事は、いつどこで始まったのでしょうか。
実は、お盆という行事の正確な起源(ルーツ)はわかっていません。
ですが、お盆は、はるか昔の中国から伝えられた仏教行事を原型とし、それが日本で古くから行われていた先祖霊信仰とひとつになって生まれたとする説が一般的な考え方です。
お盆の原型となった中国由来の仏教行事は「盂蘭盆(うらぼん)」と「施餓鬼(せがき)」の2つだと考えられています。
お盆のルーツその1:盂蘭盆
仏教の出家修行者は、夏の雨季になると一か所に集まって静かに修行をします。その期間は旧暦の4月16日から7月15日までの3か月間で、その間の修行のことを「安居(あんご)」といいます。
安居の最終日(旧暦の7月15日)には出家者全員で反省会(これを「自恣(じし)」といいます)をするのですが、そのあとで在家信者や一般の方々が出家修行者の長い間の苦労をねぎらい癒すためにごちそうを振舞う習慣がありました。これが「盂蘭盆」です。
「盂蘭盆」とは、たくさんのごちそう(特に出家信者に提供するためのごはん=仏教言語であるパーリ語で「盂蘭」という)を乗せた「お盆(いわゆるトレイですね)」のことだとする有力な説があります。
お盆のルーツその2:施餓鬼
「施餓鬼」についてはすでにおはなししたとおりです。
簡単に復習すると、餓鬼道という地獄に落ちて苦しむ霊魂たちに施しをして救済する行事のことでした。
この施餓鬼の行事には、その元となった有名なおはなしがあります。
ある日のこと。目連さんは、神通力によって自分の亡き母が餓鬼道に転落し、餓えと喉の渇きで苦しんでいることを知ります。
得意の神通力を駆使してお母さんに食べ物や飲み物を届けるのですが、お母さんがそれらを口に入れようとするとたちまち激しく燃える炎へと変わってしまい、食べることも飲むこともできません。
なんとか母を助ける方法はないかと思い悩んだ目連さんは、師匠であるお釈迦さまに泣きながら相談します。
すると、お釈迦さまは、
お釈迦さま
その功徳はとても広大で、そなたの7代前までのご先祖はことごとく地獄・餓鬼・畜生の3つの苦しみの道から離れ、大きな安らぎを得るでしょう。
盂蘭盆の会のときに、すべての人々に施しをいたします!
目連さん
目連さんがお釈迦さまの教えにしたがって多くの人々に真心をこめて施しをしたところ、人々はみな心から喜び、大きな幸福を味わいました。
その功徳はたちまち目連さんの7代前までのご先祖さま全員に行き届き、目連さんのお母さんも晴れて餓鬼道の苦しみから救い出されたのです。
この「施餓鬼」のおはなしは中国でまとめられた「盂蘭盆経」という経典に描かれていますが、この経典では「盂蘭盆」の行事と「施餓鬼」の説話が組み合わさっている点に特徴があります。
そして、盂蘭盆経は中国の唐の時代(西暦600年代頃)に日本へともたらされ、この国の先祖供養のかたちを作り、今もなお続いているお盆の仏事へとつながっていくのです。
お盆のルーツその3:日本の祖霊信仰
中国から「盂蘭盆」と「施餓鬼」の行事が伝来する前、日本ではすでにご先祖さまの霊魂を敬い慰めるための行事が行われていました。
この行事を霊祭り(たままつり)といい、推古天皇や斉明天皇などの御代(西暦600年代)にはすでに宮中行事として行われていたようです。
このように、先祖の霊魂を大切に敬っておまつりすることを「祖霊信仰」といいます。
日本の霊祭りは、中国から伝わった盂蘭盆・施餓鬼と組みあわされることによって、しだいに祖先の霊魂に対する施しという面が強調されていきます。
鎌倉時代になると、度重なる戦乱や飢饉、大火や災害に遭遇した難民たちを集めて、幕府の主導による霊祭りが行われるようになります。そして、その頃から、民間のお寺でも先祖供養の祖霊まつりが広まりはじめ、いつしか現在のお盆のかたちへとまとめあげられていったのでした。
お盆はわたしたちにとっても大事なの?(お盆の実践的な意味)
少子・高齢化や核家族化が急速に進み、また晩婚や非婚を選択する方も増えている現代では、家族のかたちや祖先の御霊まつりのあり方などが大きく変化しつつあります。
このような時代に生きるわたしたち自身にとって、お盆という行事はどんな意味があるのでしょうか。
施餓鬼供養の必要性
お盆は、餓鬼道に転落して苦しむ霊魂を救うための仏事だと説明しました。
でも、中には「うちの亡くなったご先祖さまたちは全員無事成仏しているはず!餓鬼道に落ちて苦しんでいる人などいるわけがない!」という方もあるかもしれません。
もちろん、そうかもしれません。
でも、そうではないかもしれません。
わたしたちひとりひとりには、お父さんがいて、お母さんがいます。
お父さんお母さんにも、それぞれお父さんがいて、お母さんがいます。
そのまたお父さんとお母さんがいて、さらにその上にもお父さんとお母さんがいます。
この人たちは、わたしたちの世代から見れば、全員がご先祖さまです。
わたしたちには無数の数のご先祖さまがおられるわけですね。
ですから、いろいろな理由があっていまだに成仏できずに苦しんでおられる霊魂が存在するとしても、ひとつも不思議な事ではありません。
成仏できずに真っ暗な迷路の中でさまよい続けるご先祖さまやご縁のある霊魂たちが明るい光に照らされた本来の道に進めるように手助けをすることは、今この世を自由に生きる子孫であり、そして強い縁で結ばれている、わたしたちにしかできません(例外もありますが、あえてこう言わせていただきます)。
1年に1回、さまざまな境遇におられるであろうご先祖さま方の霊魂の幸せを思い、真心をこめて施し与える機会を持つことはとても大切です。
わたしは、お盆の期間中にわたしたちがすべきことは、「穏やかな心」「求めず与えるだけの心」で生きることであると言い切ってよいと思っています(お盆という期間限定のことなのに、案外にこれが難しいのです)。
ご先祖さまに安らぎを与えてあげるとわたしたちの安心も大きくなる
お盆には、遠くにいるご家族や親戚の方がお盆休みを利用して帰省して来られ、家族揃って楽しいひとときを過ごすというご家庭も多いことでしょう。
これはわたしたちの立場から見たお盆のひとつの楽しみであるわけですが、ご先祖さま方の霊魂の立場から見てもとても嬉しいことなのです。
ご先祖さま方の霊魂をおうちにお迎えし、そこに家族が集まって明るく幸せに過ごすと、ご先祖さま方も安心され、一緒に幸せなひとときを過ごすことができます。
このように、ご先祖さま方の霊魂に大きな安らぎを与えることも、お盆の大切なおもてなしなのです。
知足さんは次のようにいっています。
知足さん
あなたがご先祖に安らぎを与えると、安らかさを得たご先祖のあなたを守る力が強くなり、あなたはより安心して今を生きることができます。
お盆休みにあちこちへと遊びに出かける方が多いのですが、その場合でも、お盆期間中は朝夕に、あるいはせめて一日だけでも、ご先祖さま方の霊魂に想いを寄せ、愛情と感謝の気持ちをもって過ごすようにしてください。
お盆の前後には、通常では考えられないような事故や災害など、人の生死に関わる事態がしばしば起こります。
このような出来事は、わたしたち人間のこれまでの生き方に対する警告であり、過去世からの因果律の拘束力も働いて最悪の事態を免れることのできない方が必ず出てきます。
他方で、ご先祖さまの霊魂やご縁のある霊魂が安心してしっかりとあるべき道を進んでおられる場合には、子孫や縁者である人間を守る力も強く働くため、そもそもそういった事態に遭遇せずにすむか、遭遇したとしても大事に至らずにすむことが多いのです。
お盆は「すべて」に対して「愛と感謝を与える」場
知足さんからのメッセージをご紹介します。
それはご先祖方の霊魂のみに対するおこないだと思われるかもしれませんが、その心は縁ある限りその他の多くの霊にも届きます。
そして、あなたがご先祖方に愛と感謝の心で奉仕しようとするとき、その心はあなたのご家族や周囲の人々にも届きます。
なぜなら、あなたがご先祖に向けた愛情と感謝の心は、この世界に放射投影され、ありとあらゆる物事に影響を及ぼすことになるからです。
そして、あなたが放ったものは、反射によってあなたのもとへと戻ってきます。
それは大きな愛と喜びに満ちているでしょう。
あなたが他者に与えた癒しと喜びは、そのうちに必ずあなたにも与えられることを知ってください。
お盆には、あなたご自身がすでにすべてを備える者としての自覚を持ち直すことが大切です。
そして、あなたとわずかでも縁を持つすべての存在に、大きく深い愛情を向け、できる限りの喜捨と布施(どちらも与え、施すこと)をする姿勢が大切です。
知足さんは、ご先祖さまの霊魂に対してはもちろんのこと、お盆の期間中にはご縁のあるすべての人に対しても「愛と感謝の心でひたすら与える」ことが大切なのだといいます。
そして、わたしたちが無心になって自分にできる範囲内で与えると、それはいつか自分にも帰ってくるんだよといっています。
もっとも、知足さんは、その前提として、わたしたち自身がすでに完全に与えられ満ち足りている幸せな存在であることを認識しておかなくてはならないといいます。
お盆とは、わたしたちが実はすでに十分に満ち足りているという事実を認識し直し、(期間限定で)執着の心を忘れ、ごく自然なかたちで愛と感謝の心をもって生きることのできる貴重な機会なのです。そして、それこそが、わたしたちにとってのお盆の実践的な意味なのです。
また、お盆とは、ご先祖さま方の霊魂を相手として、他者に対してあたたかい心をもって生きる練習ができる場であるともいえるかもしれません。
わたし
おわりに
お盆は、ご先祖さま方の霊魂へのおもてなしをとおして人間本来の正しい生き方に近づくための、むしろこの世に生きるわたしたちにこそ重要な行事だといってよいと思います。
なぜなら、お盆とは次のような循環(サイクル)を生み出す起点となるものだからです。
たとえ期間限定ではあっても、執着の心から離れて他者への愛情を持って生きてみる
↓
他者に喜びと安らぎがもたらされる
↓
わたしたち自身の魂と人格が成長する
↓
反作用により、与えたものが自分にも与えられる
↓
毎年のお盆を起点として、この循環が増幅しながら続く
わたしは、この循環の過程こそが仏教で説かれるところの「功徳」だと考えています。
この記事を読まれた方がお盆に関心をお持ちになられて、現在の自分に代々命をつないでこられたご先祖さまや日頃守護しておられる縁ある霊魂たちへの愛情と感謝の心を養ってくださることを願っています。
お盆をひとつのきっかけとして、よりよい人生を切り開いていただけたらとてもうれしいです。
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