多くの犠牲者と負傷者を出した京都アニメーション放火事件の発生から丸6日が経ち、少しずつですが被害状況が明らかにされてきています。
依然として安否不明とされる方の中には、多くの名作を手がけた監督さんやベテランアニメーターさんなどがおられることもわかってきました。
また、命を落とされた方の大半は20~30代の若いスタッフの方々であったということも報じられました。
一方で、犯人と報じられている40代男性の容態は依然としておもわしくないとされており、逮捕状は発布されましたが犯行動機を含む事件の全容解明にはまだ相当の時間がかかるものと思われます。
今わたしたちは、心ない者の一瞬の凶行によって、愛すべき京都アニメーションの作品たちが傷つけられ、そして、アニメ制作に夢と希望を持ち、その仕事に限りない情熱と心血を注いでこられた人々の尊い命が失われるという、とてもとても重い事実と向きあっています。
わたしたちは、この悲惨な事件からなにを学びとらねばならないのかを、それぞれの立場で、よくよく考えてみなければならないと思います。
そこで今日は、わたしたちはこれからどう生きるべきなのか、そして、このブログでは今後どのような情報を発信していくべきなのかについて、知足さんの説示を引用しながらわたしの考えを綴ってみます。
もくじ
その他にも世間を賑わす出来事はいろいろあったが…
この6日の間には、参議院議員選挙もありましたし、吉本興業所属の芸人さんや同社社長による記者会見もありました。
これらの話題に目を向けることで、京アニ放火事件により傷ついた心を休ませようとされた方も多いのではないでしょうか。
わたしもそのつもりでいたのですが、選挙の話題も吉本興業の話題も、わたしの深く沈んだ心を引き上げるほどの力を持ちませんでした。
この3ヶ月間「大変なこと」が続いている
令和の時代が幕を開けてからというもの、以前知足さんからきかされたとおりに物事が進んでいるように感じます。
さかのぼること半年前の今年1月、知足さんは次のように伝えてきていました。
天皇陛下の御代替わりを境に、社会も個人も環境が大きく変化する。
その変化は人間に大きな学びをもたらすけれども、良い方向へも悪い方向へも極端に動く。
人は、それぞれの生き方によって、『良いこと』を通じて学ぶ者と、『悪いこと』を通じて学ぶ者とにわかれる。
詳細については過去記事をお読みいただきたいのですが、このところ衝撃的な出来事が立て続けに起きています。
2019年、これから起こる変化にわたしたちはどう対応すべきか
そして、今年5月には、
このままでは近々大変なことが起こる。
とのメッセージが伝えられました。
わたしは、このとき背筋が冷たくなったことを覚えています。
ただ、知足さんのいう「良い」「悪い」や「大変」の具体的な意味までははっきりしていません。
わたしたちの主観的な基準に基づく良い悪いの感覚と同じ意味に理解してよいのかどうかもわかりません。
ですが、令和がはじまってまだ3ヶ月足らずだというのに、すでに大きな地震、悲惨な交通事故、身勝手な動機による殺人・傷害事件などが全国各地で頻発しています。
そして今月、34人の死者と34人の負傷者を出した京アニ放火事件が発生してしまいました。
これらの出来事は、どこからどう見ても、わたしたちにとって「悪い」うえに「大変」な出来事ばかりだと言い切ってもよいと思います。
過去記事では、その「大変」な事態に遭遇してしまったときにどうすればよいかについても書いていますのでぜひ参考になさってください。
知足さんは多くを語らず
京アニ放火事件の発生以降、わたしが知足さんから受け取ったメッセージの数はごくわずかにとどまっています。
これは、事件に動揺し、怒りと悲しみの心に取りつかれてしまったわたしが、知足さんからの働きかけをキャッチできなくなっているせいかもしれません。
あるいは、ここ最近の一連の出来事からわたしになにかを学びとらせようとして、知足さんがあえて黙っているのかもしれません。
悶々としながらも、わたしはこれまでの知足さんの説示を振りかえっていました。
知足さんのメッセージには、わたしたちが実践すべき生き方や考え方の指針のようなものがかなり詳しく示されています。
わたしは自分でこのブログ記事を書いているのに、洪水に流されるように慌ただしい日常生活の中では、知足さんの説く「生き方」や「考え方」のヒントを簡単に見失ってしまうことに気づき、自分の未熟さを思い知ったのでした。
悲しい出来事からこのような気づきを得ること自体が、「『悪いこと』を通じた『大きな学び』」なのかもしれません。
実に皮肉なことです。
わたしたちはこれからどう生きればいいのか
人間の命というものは、ここでわたしがいうまでもなく、現代社会においては絶対で最高の価値と重さをもつものです。
それにもかかわらず、近時の一連の出来事は、わたしたちに命の儚さをこれでもかというほどに見せつけてきました。
わたしたちは、朝目覚めて学校や仕事に出かけ、夜になればまた家に帰ってきて眠るのがあたりまえだと思いがちです。
親がいて、子がいて、夫がいて、妻がいる。
仕事があって、健康があって、食べるものがあって、あれもあって、これもある。
わたしたちは、あれもこれもあって当然なのだと思いがちなのです。
そして、そうだからこそ、わたしにはあれもない、これもないぞと、悲しんだり妬んだりもするわけです。
しかし、近時の一連の出来事は、それらが実はあたりまえではないということを、多くの犠牲をともないながらわたしたちに伝えようとしています。
知足さんはいつも「今身の回りにあるすべての物事に感謝の心を捧げましょう」といっています。
そして、「この世に偶然はなく、この世にあたりまえということもない」ともいっています。
だからこそ知足さんはいつもいつも「今の自分をありのままに受け容れましょう。今の姿を、今の環境を、そして今ここに至るまでのすべてを。」と説いているのです。
現在の自分自身と現在自分が置かれている環境は、すべてが必然であると同時にあたりまえのものはひとつとしてない、ということです。
知足さんは、「すべてを許し、受け容れ、感謝し、愛しましょう。そのとき、すべてが成就して、必ず次の道がひらきます。それは絶対に安全安心の道です。」といっています。
そして、過去記事で「自分にも他人にも、大きく丸くあたたかい心をもって接する」ことの大切さを何度も何度も書いているのですが、これは知足さんがいうところの「許し・受容・感謝・愛」というものをわかりやすく言いかえたものです。
わたしは、自分と他人を、過去と現在を、すべて許し、受け容れ、感謝して、愛情をもって接すべきということこそが、知足さんがわたしたちに今一番伝えたいメッセージなのだと考えています。
そしてそれこそが、わたしたちが今後の人生のよすがとすべき「生き方」の基本方針となるものだと思います。
では、このブログは今後どうあるべきか
わたしはこれまで、このブログを読まれる方に平和で穏やかな気持ちで日常生活を送っていただくことを目指して記事を書いてきました。
そのため、いたずらに読者の方々の恐怖感を煽りかねない文章表現やテーマ設定は避けるという方針に基いて記事を執筆してきました。
また、知足さんのように目に見えず耳にも聞こえない神霊の言説に恐怖感や嫌悪感を持たれる方があるかもしれませんので、公開内容はできるだけ穏やかであたたかみが感じられるものであり、また過度に宗教的ではなくできるだけ普遍的一般的な内容となるように心がけてきました。
しかし、このブログの性質上、悲惨な事件・事故や災害についても触れなければならない場合があり、また、知足さんの説示には恐ろしくまた厳しい内容のものも含まれているのが本当のところです。
そういうわけで、このブログの目的である「ご縁のあるすべての方により平和でより幸せな生き方のヒントをお知らせすること」を実現するためには、必要に応じてそのような内容に触れることもやむを得ないのではないか、と考えています。
その場合には、内容の正確性を維持しながら、できるかぎりやわらかく穏やかな表現になるよう心がけていくつもりです。
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