7月・8月は霊魂の活動が非常に活発になります。お盆には死者の尊厳にも思いをはせ、敬意を持って過ごしましょう。

立ち止まり、ありのままを認め、受け容れ、感謝することが大切です

 

たちはだかる壁

カベがあらわれた!  たたかう  にげる >かんしゃする

わたしたちの人生には、いたるところに高いハードルや壁が存在します。

それを乗り越えようと奮闘するうちに、「しんどい…」「うまくいかない…」「なんでこんな目に」「こんなはずじゃなかったのに」「もういやだ」といった後ろ向きな心に支配されてしまうことは決して珍しいことではありません。

このようなことはどうして起こるのでしょうか。

知足さんはこういっています。

知足さん

あなたが人生における障害だと信じて取り除こうと躍起になっているもののほとんどは障害ではありません。

それは、あなた自身の現状認識に不調和が存在することを示す大切な目印なのです。

あなたは、通常あなたが困難だと感じる物事との出会いを通じて、自己認識をあらため、よりよい道を進むことができます。

つまり、わたしたちが高い壁だと感じている困難とそこからやってくるしんどさというのは、わたしたちの現状認識にエラーが生じていること(あるいはその時点で生き方に歪みが生じていること)を教えてくれている重大なヒントだということなのです。

ところが、知足さんによると、ほとんどの人がそのヒントの意味に気づかず、あるいはせっかく気づいたのにそのヒントとじっくりと向き合うことができず、人生のエラーを修正せずに進んでいってしまうそうです(知足さんは、そのことがわたしたちの死後の成仏の成否に大きく関わっているともいっています)。

知足さんは、わたしたちが人生上にエラーを検知したときには、いったん歩みを止めてその内容を精査し、現状認識と受容をやりなおし、そのすべてに感謝するよう説いています。

このエラーの中身の大部分は、本来わたしたちにとって「奇跡的」な存在であるはずの物事の価値が「あたりまえ」のものとして誤って認識されてしまうこと、つまり、現状認識や信念の歪みなのだそうです。

せっかくエラーの発生を教えられたのにそれを無視して進み続ければ、そう遠くない未来にあれもこれも失くして途方に暮れる、ということにもなりかねません。

そこで今回は、困難に出会ったとき、いったん立ち止まって認識をリセットし、よりよい人生を切り開く方法について解説します。

もくじ

勇気を出していったん歩みを止めよう

わたしたちは、人生が好調だと感じるとき、その歩みを止めることなく進んでいきます。

では、反対に不調や困難に遭遇したときは足を止めるのかというと、意外なことに必ずしもそうではありません。

壁にぶつかったとき、わたしたちは、人生の歩みが止まってしまったように感じるかもしれません。

ですが、このような場合、わたしたちはその困難を回避し、あるいは征服しようとして、ありとあらゆる手を尽くそうともがき苦しみます。

このときわたしたちは、その困難を自分の人生に相容れない異物だと認識し、それを排除しようとして好調なときを上回るエネルギーを費やしがちです。

これは、実際になんらかの行動を伴っているかどうかとは関係がありません。

なぜなら、このようなときというのは、ただ寝転んでいるだけだとしても、わたしたちの頭の中ではまるでスーパーコンピュータのように異物を排除するための戦略が練りに練られ、そのシミュレートが絶え間なく繰り返されているからです。

 

このように動き続けているとき、わたしたちは、まずその困難の真の意味を発見することができません。

人生における困難が認識や信念の誤りを示すエラーメッセージであることに気づき、それを受け容れて軌道修正を行うためには、無意識のうちに人生を前へ前へと進めようとするわたしたち自身の歩みを、まずはいったん停止させなければならないのです。

しかし、すべての人の人生は、それぞれの境遇のもとで歩みを止めることなど許されないことだと感じられるのが通常であり、わたしたちの社会そのものがそのような仕組みを備えてしまっています。

しかしだからこそ、人生の壁・困難に出会ったときには、それを自分自信の人生を軌道修正する重大なチャンスとしてしっかりと活用するために、勇気を出してまずいったん立ち止まり、その困難が示す真の意味を理解しようすることが必要なのです。

 

知足さんは、困難を感じたときにはできるだけ早く身体の安全を確保できる場所まで退避し、そこで気持ちが落ち着き、物事を多面的に観察してみようという心の余裕が生まれるまで、ゆっくりと何回でも深呼吸を行うことを勧めています。

このときの呼吸法については過去記事で紹介していますのでぜひそちらをご覧ください。

すべてを「あたりまえ」にしてしまっていないかチェックしよう

勇気を出していったん立ち止まったとき、困難がわたしたちに伝えようとしているエラーメッセージを受けとる余地が生まれます。

ここで次に大事なのが、困難を感じる現状としっかりと向き合い、冷静に観察することです。

上述したように、困難を通じてわたしたちに通知されるエラーメッセージの原因は、本来「奇跡」であるはずの物事を「あたりまえ」だと誤認してしまった、わたしたち自身の現状認識と信念の歪みにあります。

そこでまず、この認識・信念の歪みを発見することが必要となるのです。

すべての物事は泣きながら感謝すべきものであるというのが真実だ

常々知足さんは、「すべての人が、亡くなったあとに生前を振り返って悔いることのないよう、今このときを、今この場所で、しっかりと生きなければなりません」といっています。

さらに、死後成仏できずに不成仏霊となって迷い続ける霊の中には、亡くなった後に生前のすべてが実は感謝すべきものごとばかりであったこと、また生前の自分は不幸だとばかり思っていたが実はとても幸せな境遇にあったことを知り、生前それらを認めて感謝しなかったことについて非常に激しい後悔と自責の念に泣いて苦しむものがいるというのです。

わたしは、これは非常に示唆に富む説示だと思います。

わたしたちは、ともすれば現状をみて不平・不満の心ばかりを抱きがちです。

だからこそ、現状の中にしばしば「壁」を観念し、それをなんとかしなくてはならない、つまり、それは排除すべき対象であって、間違っても感謝すべき対象などであるはずがない、という信念を持ってしまうのでしょう。

そして、わたしたちは、身の回りにある物事の価値を不当に低く評価し、今そこにない物事にこそ高い価値を見出しがちです。
身の回りにあるはずの物事を失くしたときにようやくその真価を認識するのですが、これもまたわたしたちがいかに現状を正しく認識できていないかを示すものだといえます。

失う前に気づくことが絶対に大事

知足さんはこうも伝えています。

知足さん

今、周囲にあるすべてが感謝すべきものであることを知った人は幸いです。

本当に大切なものを失ったあとに、あるいは、自分がこの世を去ったあとにそれを知ったのでは遅すぎます。

そうなのです。

なにかを失くしたあとになって、それまでの自分が恵まれていたことに、そして失くしたものが本当にありがたくて感謝すべきものであったことに気づいたのでは、遅すぎるのです。

もし、それが健康であったら、仕事だったら、住まいだったら、家族だったら・・・。

それを失くしたあとの後悔と悲しみはいかばかりでしょうか。

知足さんは、自分が恵まれていることに気づかず常に不平不満の心でこの世を生き、亡くなったあとに真実を知って後悔する人(霊)があまりにも多く、あの世では大変な問題になっているといいます。

あの世の事情はちょっとよくわかりません・・・

でも、困難なときこそグッと踏みとどまって、現状の中にこそ感謝すべきものを発見するよう努力したいと思います

わたし

ありのままを認め明るく感謝すると守ることができる

そして知足さんは、「現状の中にある物事の意味と価値を確認しなおし、しっかりと受け容れて、それらに対する感謝の真心を持つことができれば、あなたがたにとって本当に大切な物事をそう簡単に失うことはない」と伝えます。

つまり、わたしたちは、今身の回りにある物事の大切さを再確認し、実はすでに自分が満たされていたのだということを知って感謝すると、それを失くして困るような目にはあわずにすむというわけです。

ここでひとつ大事なことがありますのでお知らせしておきます。

それは、「感謝」がある物事を失くしてしまうことに対する不安や恐れの心からのものであってはならず、穏やかな明るい心で行われるものでなければならないということです。

これについては過去記事に詳細を書いておりますのでご覧ください。

「今」のわたしこそが真の「わたし」

ほとんどの人が、今の自分とは別の「誰か」になりたいと真剣に願っているのがこの世の中です。

ですが、知足さんはこういっています。

知足さん

おろかなことを考えるのはおやめなさい

つまり、わたしたちは、どこまでいっても結局はわたしたちなのです。

ほかの誰かになろうとすることは、「今」の自分自身を(そして、今に至る過去の自分自身をも)否定することになってしまいます。

知足さんは、それは絶対にいけないといいます。

わたしたちを未来へと連れて行ってくれるのは、ほかでもない「今このとき」の自分自身なのです。

そして、わたしたちを過去から今現在へと連れてきてくれたのも、過去の自分自身なのです。

知足さんは、「今」の自分と「過去」の自分を否定することなど決してあってはならないことだといいます。

このブログの中でもときどき書いているのでご存じの方もおられるかもしれませんが、知足さんによると、わたしたち人間の本体は魂(霊)であり、その魂というのは「大宇宙」あるいは「大神」の一部(分け御霊)を内蔵したものです。
つまり、わたしたちは、大宇宙ないし大神の一部であるということなのです。

そういうわけで、わたしたちが自分自身(=自分自神)を否定したり傷つけたりすることは絶対に許されません。

もう少し詳しく解説
霊魂に対する供養というのは、この世に生きており、しかも縁のある者でなければ行うことができません。

そういうわけで、本体が霊魂であるわたしたちにとっては、今この世に生きている都合上自分で自分の霊を供養することもまた重要です(知足さんは、わたしたちが毎日自分自身の魂に感謝を捧げることを推奨しており、わたしもそれに従っています)。

とはいえ、すでに肉体を失っている霊魂のための供養を最優先で行うべきであり、そのことに比べると肉体を持ち自由に動くことのできるわたしたちが自分自身の霊魂を供養することの重要性はどうしても劣ってしまいます。

もっとも、過去の自分自身の霊が、分身のような状態で過去に縛りつけられたままになっていることがあります。

そして、過去の自分(=自分の霊魂)に対する否定は供養とは真逆の効果を持つため、過去に置いてけぼりにされて苦しむ自分の霊魂をさらに苦しめ、その因果の流れが「今」の自分自身に現れることがあるのです。

ですから、その意味でも自分自身を否定すべきではありません。

また、欲望をもって他人に執着すると、霊魂が分裂して相手のもとへと出かけて行き、その相手に現実的な悪影響を及ぼして迷惑をかけることがありますから、これも厳しく慎まなければなりません(生き霊と呼ばれるものの存在はこのような仕組みによって発生しています)。

ありのままの自分自身をまるごと認め、すでに満ち足りているという事実を発見して受け容れ、感謝し、愛情をもつことは、とてもここでは語りつくせないほどに大切なことなのです。

現状を正しく認識して受け容れるということは、「今」のわたしこそが真の「わたし」であるいう事実を認めて受け容れることであり、そのときにはじめてよりよい人生への扉が開かれることになるのです(そして、それは人間としてのあるべき道であることが多いようです)。

日本人は謙遜を美徳としますが、むやみやたらと自分を卑下することは良いことではないのです

だからといって、エラそうに振舞うのは良くないですよ

わたし

おわりに

わたしたちが犯しがちな過ちの代表格が、本当は今ここにある幸せに気づかないこと、あるいは、それを不当に過小評価してしまうことです。

様々な形で発生するトラブルや困難には、そのことを知らせるためにあえてわたしたちにもたらされるものが少なくありません。

知足さんは、多くの人たちが人生における生き辛さや悩みに振り回されて精神力を消耗しきっている現状に強い危機感をもっている様子で、このような記事を書くことを以前からしばしばすすめてきていました。

考えがうまくまとまらない中を急いで執筆した記事ではありますが、今まさに人生における困難と向き合い悩んでおられる方の目にとまり、なんらかの光明をもたらす一助となることをただ願うばかりです。

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