過去2回にわたり、大嘗祭の期間中熊野大社(島根県松江市)の上の宮跡においてお祓いをすることになった経緯について書きました。
知足さんが指示されることですので、わたしによる素人祓えでもなにがしかの意味はあったんだろうなとは思うのですが、特に何かが変化したというわけでもなく、正直なところなんだったのかはよくわかりません。
ですが、あの場所まで上がり、しかもそこでお祓いをしなさいといわれるのはわたしにとって意外な出来事でした。
というのも、わたしは9月頃に台風がやってきたときに知足さんの指示でお祓いをしてからというもの、日常生活の中でお祓いをすることを自粛していたのです。
なぜかというと、知足さんから「神在祭が終わるまでは祓えを控えるように」といわれていたからなのです。
わたしはとても驚きましたし、なによりも非常に慌てました。
さて、今日は、熊野大社の上の宮での祓えを無事に(?)終えた次の日のはなしを書きます。
もくじ
「姿勢を正せ」
11月17日の日曜日、わたしは朝から仕事に出なくてはいけませんでした。
アラーム音に驚いて目を覚ましたものの、起き上がるための気力はまだ足りません。
なかなか起き上がることができず寝たり起きたりを繰り返していたそのとき、
「姿勢を正せ」
というメッセージがどこからか飛んできました。
わたしはびっくりして飛び起きました。
なぜなら、そのメッセージは、知足さんから受け取るいつものものとは雰囲気が違ったからです。
わたしが受け取る「メッセージ」とはどのようなものか
ここで少し脱線して、わたしがこのブログで書く「説示」や「メッセージ」がどんなふうに伝えられるのかについて書いておきます。
わたしはこれらの「メッセージ」を音声として耳で聞きとるわけではありません。
わたしの思考とは別に、じわじわと脳内に湧きあがってきたり、突然外側から銃弾を打ち込まれたかのように飛び込んできたりするイメージや情報があります。
わたしは、これらの情報を認識し、自分に理解できるレベルの有意な文章に変換する作業を経てから受領しています。
これらのメッセージは日本語などの文章であることもありますが、静止画や動画のようなものであることもあれば、文字や記号の形で伝えられることもあります(なお、文章の形である場合はほぼ間違いなく日本語です)。
これらの情報は、いわゆる「インスピレーション」のうちの一態様ではないかと思います。
ごくたまに音声様のものが付されていることもありますが、それを意味のある情報として受け取ることにはほぼ失敗しています。
理由はわかりませんが、わたしには音声の形で届くこういった情報を受け取る能力がないのではないかと考えています。
いつもとは違う源泉から伝えられたメッセージ
はなしを戻します。
早朝飛び込んできたその「メッセージ」は、落ち着きがあり、堂々とした威厳のある雰囲気を纏っていました。
知足さんを源泉とする「メッセージ」は、とても柔和で、線が細く、優美な感覚を伴うものですので、その違いは瞭然としていました。
わたしはそのとき「えっ?誰っ?!」と瞬間的な恐怖を感じましたが、「待て待て。まずは落ち着こう。おかしなことはいわれていないから大丈夫」と気を取り直して起き上がりました。
わたしは、知足さんから伝わるものを含めて、このようなメッセージを認識したときには必ず審神するのですが、このメッセージについては「受けいれ可」の結果となったのでした。
審神について少し触れますが、わたしは自分の人生観、あらゆる経験、歴史と社会通念に照らしてわずかにでも異常性が見られるメッセージを受け取ったときは、すべて不浄(不浄の霊魂や禍々しい存在)を源泉とするものとして排除するようにしています。
悪いものは、あたかも最新の知見を研究し尽くした詐欺師のようにうまいことをいってこちらを信じさせようとしますので、心に隙があったり欲望に支配されていたりすると百発百中で騙されます(その結果、人生が大きく傾き、ほとんどの場合で死後成仏できないほどに魂を食い荒らされてしまいます。これは何より恐ろしいことですよ)。
日頃の自分自身の心の保ち方が悪いとどんな人でもあっという間に不浄なものに手玉に取られるので、審神(審神者)には技術的にも精神的にも非常に難しい問題が常について回ります。
これについては説明するのが難しく、わたしにはこれ以上のことを書くことができません。
なお、そのメッセージを受領してから4日が経過しましたが、源泉(発信者)を同一とするであろうメッセージはそれ以降届いていません。
このメッセージの発信者はいわゆる「神」と呼ばれるような存在ではありません(たぶん)。
知足さんも「自らを神であるなどと語る存在を絶対に受けいれてはいけません。その者が真実神であるならば、どうしてあなたひとりにだけ声をかけるのですか」と昔からよくいっておられます。
気づかせるために転ばせる?!
痛い足をかばうようにして出勤し、ごそごそと仕事をしていると、寝床できいた「姿勢を正せ」というメッセージをふと思い出しました。
「あ〜、確かにわたしは姿勢が悪い。もしかして姿勢が悪いと足にも余計に負担がかかったりするのだろうか。そうだ、せっかくだから今日から姿勢に気をつけて過ごしてみるか」
そう思って、腰(骨盤)を起こして上半身をまっすぐに立て、あごを少し引いた状態で歩き出したそのときです。
「あれ?!足が痛くない!」
先ほどまで足の痛みをかばうために体を左右に揺らすようにしなければ歩けなかったのが、まるで嘘のように痛みなくスルスルと歩けるのです!
わたしは驚きのあまり、仕事を放棄して職場内を歩き回りました。
痛みが出ないことが嬉しくて、立ち止まり両足のかかとをくっつけた状態でつま先だけ左右に大きく開き、前後のバランスをとりながら手を組むという、バレリーナのような格好をしてみたりしていました。
そのとき知足さんがこういってこられました。
「今後は姿勢を正して生活しなければなりません。
そうすれば、深い呼吸もごく自然に行うことができるようになりますし、諸々の問題が消滅するでしょう。
あなたはここでどうしても姿勢を正す必要がありました。
あなたに姿勢を正すことの大切さを知らせるためには、あの日の朝、転んでいただく必要があったのです」
これ、読者のみなさんはどう思われますか?
まぁたしかに出勤しようとしたわたしが転倒した日、知足さんは「意味があって必要なことだから」といってはおられましたが・・・。
そのために転ばされたの?と思うとなんとも言えない気分ではあります。
今(まさにこの文章を書いている「今」)、知足さんから「人生万事塞翁が馬です」とのコメントが届いたことを記しておきます。
「姿勢を正す」ことは現代人が最優先で取り組むべき課題かもしれません
姿勢を正したらなぜ痛めた足が治るのかはわたしにはわかりません。
ただ、わたしの場合は姿勢を悪くするとたちまち足が痛み出すので、やはり姿勢は良くしておくべきということなのだと思います。
ちなみに、この足の痛みが今では姿勢を正すためのよいシグナルになりつつあります。
これに関連して、知足さんからこのようなメッセージもありました。
「以前、あなたに姿勢を改善するよう指導を試みたところ、十分な効果をあげることができませんでした。
そこで、対症療法として呼吸法を伝えることにしたのです。
幸いなことにこれにより一定の効果をあげることができましたが、本来は姿勢を正して生きることがまず先なのです。
あなたの肉体には無数の細胞と神経が存在し、日夜あなたを生かすために活動しています。肉体は、やはりあなたの中にある魂を通じて大神と接続していますが、姿勢が悪くなれば肉体と神との接続が絶たれてしまいます。
あなたと同じ世の中を生きる多くの人には、神と肉体とのつながりが途絶えてしまった者があまりにも多い。
姿勢を正して生きることにより、この接続と気の循環の不良はたちどころに改善します」
それでわたしは思い出しました。
たしかに、以前知足さんから何度も「姿勢が悪いですよ」などと姿勢について指摘されていた時期があったのです。
そのときはそうかと思って正しい姿勢を意識しながら過ごすのですが、いつの間にか忘れてしまうのですよね・・・。
その後、仕事中に調子が悪くなることが何回もあって、そのときに知足さんから呼吸法を習ったのでした。
その呼吸法というのが過去記事にも書いた「岩戸の息長」です。
知足さんは、まず姿勢だといっています。
正しい姿勢があってこその呼吸法だということのようです。
現代人は、パソコンにスマホとついつい猫背になって長時間狭い画面を凝視してしまいがちです。
読者のみなさまも、これを機にぜひ正しい姿勢を意識して、心と体のバランスのとれた明るく穏やかな生活を送ってくださいますように。
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