昨日の記事「自分自身が現状を作る?腹が立って仕方がない人の怒りの仕組みとは」の続きです。
現状を自分で「選ぶ」
昨日の記事では、わたしが遭遇したコンビニクレーマー事件(勝手に命名)と、その後知足さんから伝えられた「今置かれている状況は自分自身が作り出したものだ」という説示の関係がわからないというはなしを書きました。
また、「辛い状況は自分で選んだもの。腹が立つ状況も自分で選んだもの」という追加の説示があったことにも触れました。
追加の説示を受けてもやはり今ひとつピンとこなかったので、説示の文言にそって状況を整理してみました。
コンビニでの状況を辛いと感じる人
・罵倒され続けている店員さん
・一緒に働いている他の店員さん
・その場に居合わせて嫌な気分を味わったお客さん(わたしを含む)
その状況で腹を立てていたであろう人
・店員さんを罵倒していたお客さん
・罵倒するお客の態度に疑問を感じるすべての人(わたしを含む)
・急いで会計を済ませたい他のお客さん
おそらくこんな感じだと思います。
コンビニクレーマー事件に関わった人々を「辛い」と「怒り」にあてはめて振り分けてみると、説示との関連性がうっすらと見えてきます。
つまり、知足さんは、これらの人々全員が、各々の状況(辛いないしは怒り)を、偶然や強制によってではなく、あらかじめ「自分で選択して作り出している」のですよ、といっているのだと思います。
「選択」とはなにか
だとすると、知足さんのいうところの「選択」とはどういう意味でしょうか。
わたしは、以前知足さんから伝えられた説示を思い浮かべました。
それは、
自分の持っているものを確かめましょう。
足りないものを数えるのではなく、今ここにあるものを認めましょう。
すべてが今ここにあることを認めるならば、それが真実です。
今ここにあることを認めなければ、いつまでも求め続けることになります。
という内容のものでした。
わたしはこの説示を、「自分にとって必要なものはすべて今ここにあるぞ!と認めると本当にそうなるよ」、逆に「あれもないこれもない、だからあれもこれもほしい!と思っていると、いつまでもそれは手に入らないし、その不足感・渇望感が続くよ」という意味だと理解しています。
これは、自分の認識・認容によって結果が決まる(変わる)ということだと思うのですが、この「認識・認容」こそが「選択」なのではないでしょうか。
そうだとすると、今回の説示は、辛い出来事や腹立たしい出来事の発生を自分が事前に「認識・認容(この場合は認容でしょうか)」することによってそれが現実として現れた、ただそれだけのことなんですよ、といっているように思えます。
とはいえ、日頃から辛い目に遭うとか腹を立てるということを望んだり受け入れたりしている人がいるとはちょっと考えにくいところでもあります。
なかなか難しいところですが、あなたはどのようにお考えになるでしょうか。