令和最初の神迎祭、わたしも参加してぜひとも全国からお越しになる神々をお出迎えしたいと思い、仕事を終えた後急いで大社町に入りました。
ところが、わたしは神事に参加できず、肩を落として帰宅したのです(涙)
神迎神事について書かれた今朝の朝刊を見て、なんとも寂しい気持ちでいっぱいになりました…。
それはそれとして、来年以降神迎祭にお出かけになる方の参考になる(?)かもしれませんので、わたしの当日の動き(失敗談ともいう)と、知足さんから都度与えられたメッセージ(というかほとんど諭し)についてまとめておきます。
なお、令和元年の神迎祭は11月6日午後7時より行われ、厳かな雰囲気の中無事に終わったそうです。
もくじ
わたしの目論み
当初、わたしは神迎祭に行く予定ではありませんでした。
ですが、知足さんから今年の神在祭の重要性と過去のものとの質的な違いについて知らされ、それを記事にするうちに、読者のみなさまに今年の神在祭は特別だと言っておきながら、その特別な期日のために参集される神々をお迎えにあがらなくてもよいのか?という気持ちが湧き上がってきました。
これが出かけることにした理由です。
もう一つ理由があります。
わたしの住む出雲地方は、ずいぶん長い間自然災害を免れ続けています。
自然災害による被害を免れた後、わたしたち出雲人は決まりごとのようにこう言い合います。
「神さまが守ってくださったんだね。ありがたいね。」
この感謝を表すために、なんとしても神迎祭に参加して神々をお迎えせねばと思ったのでした。
当日のわたしの行動
①仕事中に神迎祭への参加を決定。
②ネットで現地(稲佐の浜)への行き方と出雲大社の駐車場をチェック。駐車場はたくさんあるので大丈夫だろうと考えていたのですが、これが勘違いもいいところでした。
③稲佐の浜での神迎神事は19時に始まるため、17時過ぎまで仕事をした後に車を飛ばせば余裕で間に合うと確信。これもとんでもない間違いでした。
④予定通りに仕事が終わらず17時20分に勤務先から出る。ところが車の燃料が足りないことに気づき慌てて給油所へ。ちなみにわたしのいる松江市から出雲市大社町までは片道60Km程度はありそうです。
⑤給油所に到着。ガソリン値引きの日だったらしく長い行列で順番待ちをする。
⑥帰宅ラッシュの時間のためところどころで渋滞に巻き込まれる。
⑦ようやく出雲大社付近に到着。ところがメジャーな駐車場は全て満車。道路も路駐車だらけで入り込む余地がない。
⑧出雲大社付近への駐車を断念し、車の流れに従って稲佐の浜付近まで移動。こちらも状況は変わらず(というより余計に悪い)。
⑨いつの間にか稲佐の浜と出雲大社を結ぶ大通りが車両通行止めにされており、来た道を戻ることもできず慌てる。
⑩稲佐の浜の先の漁港付近から浜を眺める。とんでもない数の参拝者の姿に怯える。また、稲佐の浜付近の歩道に数百mはありそうな参拝者の行列ができているのに気づき、今からここに並ぶのはとても無理だと思い諦める。
こんな感じです。
こうしてみると、準備不足の一言に尽きます。
その一方で、これだけ多くの方々が今年の神在祭を特別で大切なものなのだと感じておられたのだなーと思い、万障繰り合わせてこの場に集まられた老若男女のみなさんの心に感服しました。
遠方から来られたとおぼしき県外ナンバーの車の方もたくさんいましたが、車を駐めることもできずに困っておられるご様子で非常に気の毒でした。
知足さん語録集(令和元年11月5〜6日分)
以下には、突然神迎神事への参加を表明したわたしに向けて知足さんがどのようなことを伝えてこられたかをまとめました。
1.無理に出かけることはない
「神迎神事に参加してみたいなー」となんとなく考えはじめたわたしに知足さんがいった最初のひとことが次のものです。
「あなたが無理をして出かけることはないですよ」
このときの知足さんのことばから想起した雰囲気は、「とんでもないことを言い出したぞ… やれやれ…」というような感じでした。
2.出かけるのならまず氏神様にご挨拶を
神迎神事に参加したいとの気持ちを強めていくわたしに向かって知足さんは次のように伝えてきました。
「どうしてもお出かけになるというのであれば、明日(つまり当日)の朝、氏神さまを訪れてご挨拶をすることです」
「神迎えに参列するのであれば、気枯れを起こしてはいけません。
今から心を平らに穏やかに保ち、これに反する感情には囚われず受け流すことです。
性的な物事にも触れてはいけません」
知足さんがわたしにこれほど詳細な指示を出されることは普段ほとんどありません。
これは大変珍しい出来事です。
また、性的な物事に関する言及はこのブログでははじめて取り上げると思います。
知足さんは荒淫や不倫関係が大きな罪であるとよくいわれますので、そういうはなしについてもそのうち書こうと思います。
こういった指示を受けたわたしですが、なんと神迎え当日の朝起きることができず、氏神さまにご挨拶することができませんでした…。
このところ朝の気温が急激に下がっており、寒くて寝坊するという大失態をしでかしたのです。
これによりわたしのテンションも急降下し、神迎神事への参加は無理なのでは…と弱気になってしまいます。
3.我欲を起こすな、目的と心を一致させろ
出勤後は知足さんのいいつけを守り、冷静に穏やかに過ごすために細心の注意を払いました。
午後になって、「今日を逃せば次は一年先だぞ、やはりなんとしても神迎神事に参列しなくては」との思いが強まり、終業後に向かうことを決定。強行軍で稲佐の浜を目指します。
出雲大社への道を急いでいるとき、わたしの頭の中では「車が置けるといいのだけど。19時までにつけるだろうか。何がなんでも間に合わせなければ」と、そんなことばかりが巡ります。
そのとき知足さんがこういいました。
「目的はなんですか。自分のためですか。
目的を忘れないように。
神迎えに向かおうとする者が我欲に囚われてはなりません。
目的と心を一致させなくてはいけません」
渋滞や赤信号にイライラしているわたしに向けられた手厳しいメッセージです。
4.おくにの墓へ行け
車を走らせ続けてようやく出雲ドームが見えるところまで来たとき、知足さんが伝えてこられたのが
「おくにの墓へ」
というメッセージでした。
それが歌舞伎踊りで知られる出雲阿国の墓と伝わる場所のことであることはなんとなく理解しましたが、わたしはそれがどこにあるのかをを知りませんでした。
せめて車を止めて場所を調べてみればよかったのですが、この時点ですでに18時半。
一刻も早く稲佐の浜にたどり着きたい一心のわたしには停車する時間が惜しく思われ、そのまま進んでしまいます。
慣れない夜道を運転するうちに、わたしは「おくにの墓」のことなど完全に忘れていました。
ようやく出雲大社までやってきたものの、どこの駐車場も満車で入ることすらできません。
しかたなく他の車の流れに従って出雲大社から稲佐の浜に向かう通りを進んでいきます。
すると、ふと「出雲阿国の墓駐車場」と書かれた標識と一台分だけ空いた駐車スペースを発見。
「あっ!」と思いましたがときすでに遅く、わたしはその場を素通りしてしまったのでした。
稲佐の浜を目前にして「さっきの場所に車を置けという意味だったんだな…」と理解しましたが後の祭りです。
無理を押して出雲大社までやってきたわたしを不憫に思った知足さんのせめてもの温情だったのかもしれません。
※ 出雲阿国の墓の駐車場を神迎祭参加のために使うことは本来の用途ではないため問題があるのですが、当日の事実であるためあえて記録しておきます。なお、当日は稲佐の浜付近のあらゆる隙間に車が駐められていたので、近隣住民の方の中には困られた方もあったのではないかと思います。
5.その車の存在には理由がある
結局稲佐の浜に立つことが叶わなかったわたしは、すっかり気を落としつつ帰路につきました。
こうなったら一刻も早く帰ろうと思ったのですが、途中でわたしの車の前に入ってきた車がものすごくゆっくり走っています。
その車の速度の遅さに耐えかねたのか、わたしの後方にいた数台の車が、わたしの車とわたしの前を走る車をまとめて追い抜いていきます。
わたしもこのままだと帰りが遅くなるので追い越そうかと思い心の準備をしはじめたとき、知足さんがいいました。
「その車を追い越してはいけません。
この速度で進む車が前にいるのには理由があるのです。
これもあなたを無事に帰すためです」
そのメッセージを受け取ったわたしは「ハッ」となって我に帰りました。
そうでした。
この世に偶然はないのです。
そして、すべてには理由があるのです。
だからこそ、今置かれている状況を受け入れることが大事なのです。
おわりに
残念ながらわたしは令和最初の年の重要な神迎神事には参加できませんでした。
ですが、その場所まで出かけ、同じく神々をお迎えしようという心をもったたくさんの人々がおられることを知りました。
人にはそれぞれに役目があり、その役目を負う人が自然とその任務を遂行するようになっています。
この日稲佐の浜に神さまをお迎えにあがる役目を担うのは、わたしではなくここに降り立たれた人々なのだと理解しました。
わたしが無理をしてその仕事をしようとすれば、それは他人を蹴落としてでも自分がやりたい!という我欲を生みます。
知足さんのいう「あなたが無理をして出かけることはない」というのは本当にその通りでした。
そして、稲佐の浜往還の道中の出来事を通じ、日頃知足さんからいわれていることの意味を再確認しました。
いろいろと勉強させてもらった神迎えの1日でした。
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