7月・8月は霊魂の活動が非常に活発になります。お盆には死者の尊厳にも思いをはせ、敬意を持って過ごしましょう。

大嘗祭の間に熊野大社の上の宮跡でお祓いをさせられたはなし(前編)

熊野大社(島根県松江市)

熊野大社(島根県松江市八雲町)
by Monado – photo by Monado, CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1451827による

令和の最重要神事である大嘗祭、無事に終わりそうですね!

正確にはまだ11月18日の「大饗の儀(だいきょうのぎ)」という式典が残っていますが、まあこれは問題ないと思います。

この度の大嘗祭(「大嘗宮の儀(だいじょうきゅうのぎ)」)を経て、新しい天皇陛下はいよいよ真の天皇(すめらみこと)の地位に就かれました。

ここであらためて天皇・皇后両陛下の御即位についてお祝いを申し上げたいと思います。

知足さんも、大嘗祭が無事に終わりそうだということで一安心されているのか、それ以前のことを思うとあまりうるさくあれこれ伝えては来られません。

ただ、わたしの住んでいる旧出雲の国エリアはまだ神在月の真っ只中でして、伝承によれば神在祭に参集された神様のうちの最後の方がお国に帰るために出立される日まで(概ね新暦の12月はじめ頃まで)続きます。

その関係で、知足さんは特に出雲の国にいる者に向けた指示をあれこれ出しておられるのですが、それはまだまだ続いています。

昨日、知足さんの勧め(というよりも指示)に従って出かけた先でちょっと不思議な体験をしましたので、今日は忘れないうちにそれを書き留めておこうと思います。

11月15日(金曜日)午後4時頃

大嘗祭の中でももっとも大切な儀式が「大嘗宮の儀」ですが、11月14日と15日の2日間に渡って無事に執り行われました。

大嘗宮の儀の2日目の儀式が行われる15日金曜日の夕方、知足さんから次のようにいわれました。

「明日(11月16日の土曜日)、日の出の1時間前に起き、熊野大社へ行ってください」

 

そこで11月16日の松江市の日の出時刻を調べてみると、朝の6時40分すぎくらいです。

その1時間前に起きるとなると、5時半起き。

この1週間は特別に忙しく、しかも今週末は1日しか休みがありません。

16日の土曜日は朝寝をしてゆっくり休むという計画を立てていたわたしは「えええええ・・・」となってしまいました。

 

しかしそのとき、「大嘗祭」「神在祭」「平成ー令和の大災害と出雲の国の平穏」というキーワードが頭に浮かんできました。

そして、「いろいろなことが重なっている今だからこそ、熊野大社にお礼をしに行くべきかもしれない」と思い直し、翌朝早起きをして知足さんの指示通りに動くことを決めました(実はそれだけでなく、個人的にも仕事の関係でご神前で報告とお礼を述べたい出来事がありました)。

熊野大社はどんな神社?

ここで熊野大社について少し説明しておこうと思います。

熊野大社は島根県松江市八雲町にある古社で、主祭神は加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(カブロギクマノノオオカミクシミケヌノミコト)です。

そして、この「カブロギクマノノオオカミ」とは素戔嗚尊(スサノオノミコト)のことであると伝えられています。

クマノノオオカミがスサノオノミコトと同一の神さまであるかどうかについては議論があるようですが、中世にはすでに両者を同一神とする見解が通説として確立していたらしく、それ以来その説が覆されるほどの決定的な証拠は出ていないようです。

 

わたしは八雲町の熊野大社を崇敬しているので、主祭神が素戔嗚尊かどうかについて気になったことがありました。

そのときの知足さんの応答は次のようなものでした。

「あなたはそこで大きく強い力と峻厳さを感じとりました。御祭神の特質がよく現れています」

主祭神が素戔嗚尊かどうかというわたしの疑問に、イエス・ノーではなくこのように答えてこられたのには困惑しましたが、わたしはなんとなく「ははーん、やはり素戔嗚尊が主祭神なんだなぁ」と思い込んで現在に至っております。

そもそもは出雲大社よりも上位にあったという熊野大社

出雲の国(島根県東部)の神社というと「出雲大社」をあげる方が多いです。

ですが、その出雲大社の宮司さん(出雲国造)が宮司になるための儀式(神事)を行うには火(神聖なもの)が必要で、その火を起こす道具である燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりぎね)は絶対に熊野大社のものでなくてはならないそうです。

そのため、出雲大社の宮司さんは熊野大社に道具を貸してもらいにやってくるわけです(大昔からずっとそうらしいです)。

このとき出雲大社の宮司さんは手ぶらではやって来ず、熊野大社への献上品を携えてきます(お餅など)。

ところが、熊野大社の神職さんは、これを簡単には受け取らず、やれ大きさが小さいだの形が悪いだのと厳しく文句をつけます。

この様子は現代にも伝えられており、熊野大社の秋のお祭りである鑽火祭(さんかさい)という神事において、熊野大社・出雲大社の両宮司さんによって毎年再現されます(亀太夫神事)。

これが一体なにを言わんとするものであるのか、わたしも長年あれこれと想像し続けているのですが、よくわかりません。

ですが、これは古来熊野大社が出雲大社の上位にあったことを表しているのだとする見解が通説のようです。

 

ウイキペディアの情報によれば、西暦800年代にまとめられた資料(「日本文徳天皇実録」「日本三代実録」)の記録では、熊野大社の御祭神(熊野大神/熊野神/熊野坐神)の階級が出雲大社の御祭神(杵築神)の階級よりも上位とされていたようです。

また、西暦927年の「延喜式神名帳」の記録によると、熊野大社は(当時の)全国に226社あった名神大社(みょうじんたいしゃ:簡単にいうと国家レベルの祭祀が執り行われた神社のこと)の中の1つとされています(島根県の神社では熊野大社と出雲大社の2つだけ名前が載っている)。

 

なんだか難しい話ではありますが、こういった諸々の経緯を紐解いてみると、かつては熊野大社が出雲大社の上位にあったというのは本当かもしれません。

それに、出雲の国では熊野大社と出雲大社の二つが一の宮とされています。

そういうわけで、熊野大社と出雲大社の格付けの優劣はともかくとして、熊野大社も出雲大社に引けを取らないれっきとした出雲国の一の宮なのだとわたしは思うわけです。

熊野大神は食物の神さま

熊野大社の御祭神が食物を司る神さまであることはよく知られています。

このことについてはウイキペディアでも触れられています。

「熊野大神(くまののおおかみ)」は鎮座地名・社名に大神をつけたものであり、実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになる。「クシ」は「奇」、「ミケ」は「御食」の意で、食物神と解する説が通説である。

「熊野大社」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)より引用

このことは今回の記事のテーマと大きく関わってきます。

どういうことかというと、わたしが知足さんに連れまわされてお祓いの真似事をさせられた、というかお祓いをすることにした動機の一つに「大嘗祭」の期間中である、ということことがあったわけです。

以前の記事でも書きましたが、大嘗祭では天皇陛下が自らその年に収穫されたお米(と日本の各地から献上された食材)を天照大御神(アマテラスオオミカミ)をはじめとする八百万の神々に献上なさいます。

お米は、わたしたち日本人にとってなくてはならない食物の代表です。

天照大御神は、出雲の国譲りの後、孫神の邇邇芸命(ニニギノミコト)に稲穂を持たせ、お米を育てるよう指導をして地上に降ろされました。

天照大御神の弟神が素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。

わたしは以前からよく知足さんに「素戔嗚尊と縁がある」ともいわれています。

そして、お米をはじめとする食物の神である熊野大社の御祭神・加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(カブロギクマノノオオカミクシミケヌノミコト)は、この素戔嗚尊と同一神であるとされているのです。

 

このようなつながりを頭の中で思い描いたとき、わたしは「あ!なるほど・・・」と思い、おとなしく知足さんの指示に従おうと決めたのでした。

熊野大社を出た後、同社の上の宮跡へと向かうよう促されて逡巡していたとき、知足さんが「早く向かいなさい。今がそのときです」とのメッセージを飛ばして来られたのですが、今になってみると、そのメッセージもこのようなつながりを背景とするものであったのだろうと思います。

熊野大社の説明が長くなりすぎました・・・

わたしが熊野大社を心から敬愛しているという事情から説明がついマニアックなはなしに及んでしまい、肝心の「祓え」について書く時間がなくなってしまいました。

その部分は次回後編として書くことにします。

島根県松江市にある熊野大社、知足さんの表現を借りると「力強さと峻厳さ」に満ちた素敵なお社です。

(と書いてはいますが決して恐ろしい雰囲気の神社ではなく、足を踏み入れるだけで祓い清められるような清々しさでいっぱいの神社です)

当地にお越しの際にはぜひ御参詣ください!

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