7月・8月は霊魂の活動が非常に活発になります。お盆には死者の尊厳にも思いをはせ、敬意を持って過ごしましょう。

接客業は人間性を向上させ魂を磨くうえで最適な仕事である

仕事の帰り道、コンビニに立ち寄りました。

車の進行方向の反対側(対向車線側)にあるお店で入りにくく、お邪魔するのは年に2~3回ほどでしょうか。

入店時、お客さんが2人ほどおられ、女性の店員さんがひとりレジのところに立っておられましたが、「いらっしゃいませ」などの声はなく(悲しかったです)、会計時も少々投げやりというか、なんとなくめんどくさそうにされてしまいました(輪をかけて悲しかったです)。

「わたしが買い物にきたのがそんなに迷惑だったのだろうか…」と、わきあがる悲しみをひしひしと感じながら帰宅の途につき、気分を改めようとすぐに風呂場に向かってシャワーを浴び始めているとき、知足さんがやってきてこういいました。

知足さん

あの店員さんは、ご自分が置かれた現在の状況を受け入れることができず、強い不満の心を抑えられなくなっているのです

もくじ

自己認識のあやまりと気枯れ




知足さんによると、

「あの方は、心の中で自分自身を他者と比較する習慣を身につけてしまったがために、ご自分の価値を不当に貶(おとし)め、自分自身の本来の価値を見失なってしまった結果、気枯れ(けがれ)が生じていました。
実に不幸なことです」

とのことでした。

「気枯れ」とは

 

知足さんは、人間が本来の道を逸脱したことによって生じるいわゆる精神的なエネルギーの不足や枯渇の状態を指してしばしば「気枯れ」と表現しています。

 

神道の用語の中に「穢(けが)れ」というものがあり、これは主に「不浄な状態」を表現したものですが、どちらも人間の精神的なエネルギーを不足させて精神性(霊性)にマイナスの影響を及ぼすものである点では同じです。

わたしはお湯につかりながら、現在自分自身も日々接客業務に従事していること、また、かつては業務上のストレスと不平不満で心の中をいっぱいにしており、自分自身と自分の従事する仕事のどちらにも価値を見出せなくなってしまっていたことを思い出しました。

以前のわたしは、冒頭のコンビニ店員さんと同じで、気枯れの状態に苦しみもがいていたのです。

すべての鍵は「現在」にある

知足さんは、

「あの方は、日常業務を通じて人間性を大きく丸く養うためのまたとない大切な大切な機会を日々逃し続けています。
とても残念なことです」

ともいっておられました。

「調和のとれた大きく丸い心を持とう!」とは知足さんがずっと訴え続けていることなのですが、ここでいう「心」はさきほどの説示にいう「人間性」と同じ意味だと考えてさしつかえなさそうです。

さて、知足さんはいつも、

「そのとき(今=現在)自分自身が置かれている状況・環境の中にこそ、幸せを実現し手に入れるための鍵がある」

という意味のことをいわれます。

そして、その鍵とは、

「そのとき(今現在)の状況・環境のすべてが、自分にとってあるべくしてある(起こるべくして起こる)ものなのだということを認め、素直に受け容れること。

その中で、少しでも世のために人のためにとの心をもち、最善を尽くして課題に向かい、その過程(プロセス)を通じて自らの人間性を高めようと決意すること。

つねに神とともにあることを信じること」

だといいます。

「神とともにある」とは

 

知足さんは、神との一体性、あるいは大宇宙との一体性を、人間にとって最も重要な真実として説いています。

 

ところで、以前知足さんに仏教徒の人はどう考えればいいのですかと質問したところ、後日「お釈迦さまが示そうとなさった真理・法則というものは大宇宙に厳として存在するものであり、お釈迦さまの説かれる世界観を経由しつつ、人間が大宇宙とともにあることを理解することが大切です」という回答がありました。

わたしは、かれこれ10年近く前、知足さんに「いつでも大事なのは今このときなのですよ」と繰り返し説教されまして、それからというもの・・・

神に会おうとも、鬼に遭おうとも、

すべてを受けいれ、

愛と感謝の心を持って最善を尽くす

というのを鉄の掟(おきて)として自分自身に課して生きてきました。

・・・というのは完全に言い過ぎでして、まだまだ「すべて」を受け容れられるような段階には到達していません(すみません;;)。

 

とはいえ、感情的な反応を呼び起こすあらゆる物事が、単なる偶然ではなく、自分の人間性を向上させ魂を磨くために起こる貴重なイベントなのだと考えるようになってからというもの、わたしの人生の充実度は飛躍的に向上したと思います。

そして、昔の自分に比べれば、精神面でずいぶんとタフになってきたようにも感じます(図太くなってきただけでしょうか)。

接客業は最高だ!

そして、ここからが今日の記事の一番大切なところなのですが、知足さんは間違いなくこう伝えてきました。

「接客業のように常日頃不特定多数の人たちと接するお仕事に就く人たちは、

最高の環境にあります

通常、人間は、他の人間を通じてでなければ成長することができません。

それも、関わる相手の人間性や出来事の性質が自分にとってのある種の障壁のように感じられる状況において、人間性をより大きく成長させることができるのです。

生業として日々不特定多数の人たちとの関わりを、それもある種の困難を伴うようなかたちでの関わり方を余儀なくされている人たちには、今こそその意味と価値を理解し、この機を逃すことなく人間性を大きく養い魂を磨きに磨いて、この世に生まれ出た大きな目的のひとつを果たそうと心に決めていただきたいのです」

 

今日のコンビニ店員さんがよほど気になったのか、知足さんから現在接客業に従事されている人たちのお役に立てるような記事を書くよう勧められましたので、近いうちに再度このテーマで記事を執筆しようと思います。

接客業というのは最高の仕事らしいですよ~

わたし

では、お客さんの立場ではどうあるべきか

今ふと思い出したのですが、以前わたしがお店に買い物に出かけたときのことです。

駐車場に車を入れたところで知足さんから

「お店に失礼のないように」

「品物を譲っていただくということは間違っても当たり前のことではないのですよ」

と、お店や商品に対して丁寧にふるまうよう注意されたことが何回かありました。

「お客さまは神さま」問題とか「モンスタークレーマー」問題が世間を騒がせているようですが、お金さえ払えば礼儀を欠こうがなにをしようが構わないといった考えはやはり誤りなのです(当然のことですが)。

接客業に従事するあなたへ(わたしを含む)

最後に、知足さんはこのようにいわれました。

「あの方(コンビニの店員さん)は、ご自分の仕事の大切さと責務について十分に理解しておられます。

だからこそ、生業に励み最善を尽くさなかった自分を責め、悔いることを日々繰り返しておられるのです。

これほど悲しいことはありません」

 

接客関係のお仕事に従事されている同志よ!

お客さんとの関りを一期一会の、そして自分自身の魂と人格を向上させるためのまたとない機会として活用し、悔いの残らぬよう最善を尽くそうではありませんか!

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