7月・8月は霊魂の活動が非常に活発になります。お盆には死者の尊厳にも思いをはせ、敬意を持って過ごしましょう。

お祓いには効果があります。しかし効かない人も…。その理由とは?

お祓いは効きます!

「なんとなく不調・・・」「なにもかもうまくいかない・・・」「悪いものに憑りつかれているのでは・・・」

「これはお祓いをしてもらうべきか・・・」

こんなふうに思うこと、あなたはありませんか?

でも、長い人生の中で本当に「お祓い」を受ける機会というのは少ないかもしれません。

そして、まさに今、「お祓い」を受けようかと真剣に悩んでいる方もおられるでしょう。

いきなりですが、迷っておられる方のためにあらかじめ言っておきます。

お祓いには効果があります。

ですが、残念なことにお祓いの効果がない方もおられます。

なぜでしょうか。

この記事では、お祓いとはなにかという基本から、お祓いの流れ作法、そして効果が出ない人がいるのはなぜなのかについてまで、お祓いに関する悩みを解決するための知識を解説します。

お祓いとはなんだろう?

 

お祓いとはいったいなんでしょう。

ウィキペディアでは次のように説明されています。

祓(はらえ、はらい)は、神道の宗教行為で、天津罪・国津罪などの罪や穢れ、災厄などの不浄を心身から取り除くための神事・呪術である。

「祓」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)より引用

また、

一般に、神前での祈祷を、災厄除けの祈祷(本来の意味の「祓」)以外のものも含めて「お祓い」という。

「祓」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)より引用

記事の正確性についていろいろといわれることのあるウィキペディアですが、「祓」に関するこの解説は非常に正確です。「祓」の定義が端的に説明されていて、わたしは素晴らしいと思います。

この定義をお読みになれば「祓」とはなにかがおわかりになるはずですが、一応わたしなりに説明を加えておきます。

「はらい」と「はらえ」

まず、「祓」と書いて「はらえ」と読みます。

知足さんは「はらへ」というかな表記を伝えてきますが、これは知足さんが(おそらく)古語の表記法に親しんでいるのがその理由であり、発音は現代の表記法と同じ「はらえ」となります。同様に、「はらい」のことを知足さんは「はらひ」というかな表記で伝えてきます。

そして、知足さんは「はらへ(はらえ)」「はらひ(はらい)」を使いわけています。

ここでは簡単に説明するにとどめますが、知足さんは、

神さまのお力の発動によって祓っていただくこと → はらへ(はらえ)

 

神さまご自身(あるいは天皇ご自身)が祓を行うこと → はらひ(はらい)

として厳密に区別しています。

ウィキペディアの説明文でも「祓」には「はらえ、はらい」という2つの読み方があることが示されています。

現代にこれらの2つの読み方が伝わっている理由はよくわかりませんし、必ずしも上記のような知足さんの区分に基づくものではないかもしれません。

ですが、ここではこのような意味の違いによって読み方を区別するのだと考えておいていただければよいと思います。

基本は「はらえ」

わたしたちは「お祓いを受ける」とか「お祓いしてもらう」といいますが、この場合は「はらい」ですね。

知足さんの説明にしたがえば、この場合は「神さまご自身がなさる祓の効果を頂戴する」ということになります。

ですが、これだとなんとなく回りくどいというか、わたしたち自身をすっきりと祓ってもらう感じがありません。

あくまでも神さまご自身の祓の効果を反射的に受け取るだけというような気がしませんか?

 

知足さんによりますと、

人は自分自身の力によって祓を行うことはできません。

 

神さまのお力の発動により祓っていただかなくてはなりません。

とのことですので、神さまのご神力によってわたしたちそのものをすっきりと祓っていただくこと、つまり、「はらえ」こそがわたしたちがよくいう「お祓い」の実態だということになります。

理屈はわかったけど、「お祓え」ではなんかヘンですね

口に出していうときは「お祓い」でいいと思いますよ~

わたし

お祓いの定義の解説

祓の定義によると、祓とは「天津罪・国津罪などの罪や穢れ、災厄などの不浄を心身から取り除く」ことです。

天津罪・国津罪とは?

「天津罪・国津罪」とはなんでしょうか。

「天津罪・国津罪」とは、神道で用いられる「大祓詞(おおはらえのことば)」という長い祝詞(のりと)の中に書かれている、古代日本で観念された様々な罪のことです。現代でいえば刑事法規の適用対象として処罰される犯罪のようなイメージでしょうか。

「天津罪(あまつつみ)」とは祭祀や農耕に対する妨害行為、また「国津罪(くにつつみ)」とは社会秩序を破壊し倫理を侵す行為であると考えられています。

簡単にいうと、天津罪・国津罪とは、わたしたちが犯しかねない社会的ルール(規範)違反や倫理に反する行為のことなのです。

明治時代まで用いられていた大祓詞の中には天津罪と国津罪の具体例(罪のカタログ)が列挙されていたのですが、大正時代に内務省によって制定され現代でも一般的に用いられている新しい大祓詞からはこれらの記述が削除されています。

一説によれば、罪の具体例を毎回読み上げることは不適切だと考えられたのがその理由のようです。

ご参考
知足さんは、

天津罪・国津罪とは、いつの時代にも通用する普遍のものです。

(の確認)を省けば、それを忘れた人々が再び世の中を乱すことにもつながりかねず、好ましくありません。

とはいえ、時代や文化の要請から罪の明示がはばかられることがあるのもやむを得ないことでしょう。

と伝えています。

穢れとは?

では、「穢れ(けがれ)」とはなんでしょう。

この点について知足さんは、

「穢れ」とはすなわち「気枯れ(けがれ)」です。

 

これは、人があるべき生き方を見失うことによって、自己と大宇宙・大神との一体性を疑い、内側におわす神を遠くへと突き飛ばすことによって生じる、肉体が亢進(こうしん)し魂が萎縮した状態です。

といっています。

もうすこしわかりやすくいうと、「穢れ」の状態とは、人間の考え方や生き方の誤りなどを原因として精神エネルギーが異常に消耗し、生命力が低下して、魂のレベルで弱ってしまっている状態であるといえます。

 

日本には、古来から人の死や病気、出産や月経などを不浄な状態とし、「穢れ」として忌み嫌う習慣がありましたが、その理由もここにあります。

つまり、死や病気は端的に生命力が枯渇・低下した状態であり、また、血液の流失をともなう出産や月経は生命力の低下につながるものと考えられてきたわけです。

人の生死や月経などは自然現象であり、現代においてはもはやこれを忌むべき対象とする合理的な理由はありません

わたし

穢れの主な原因となる「考え方や生き方の誤り」とは、異常な執着欲望激しい怒り憎しみ恨み妬み悲しみ無気力感などに支配され、人間本来のあるべき道を踏み外してしまうことです。

このような状態に陥ってしまうとき、わたしたちは「気枯れ」を起こし、その結果さらなる過ちを犯しやすいのです。

わたしたちは、日常的に「気枯れ」つまり「穢れ」の危険にさらされながら生きているといえるでしょう。

災厄とは?

「災厄(さいやく)」とは、わざわい・災難の意味です。

たとえば、自然災害や交通事故など生死に関わるような重大なものから、悪口を言われたり忘れ物をしたりといった軽微なものまで多岐にわたります。

また、厄年の「厄」も同じ意味です。

男性なら数えで42歳、女性なら数えで33歳など、特定の年を厄年といって厄払いを受ける風習があります。

古くから厄年は災厄(諸々のわざわい)に遭いやすいとされ、恐れられています。

ご参考
知足さんは、厄年の意味について、

①慎みの心を持って過去の生き方を静かに注意深く省みるための期間であり、

②その反省に基づき人としてのあるべき生き方を模索するための期間である、

と説明しています。

知足さんから「厄年」に関する記事を書くよういわれていますので後日記事にします

わたし

心身から不浄を取り除くとは?

ここまで「罪」と「穢れ」について説明してきましたが、これらはすべて「不浄」にあたります。

罪も穢れも「不浄」、つまり、わたしたちにとって本来あるべき状態ではないというわけです。

そういうわけで、「祓」とは、わたしたちが心身深くにまで帯びた異常な状態を、神さまのお力をお借りすることによって清めていただき本来あるべき状態へと戻すための神事なのです。

お祓いは神社で受けるのがおすすめ

お祓いは神道神事なので、わたしは神社で受けられることをおすすめしています。

お祓いを受ける神社は基本的にはお住いの地域の氏神さまをおすすめしますが、特に希望する神社がある場合にはそちらを選んでも問題はありません。

神社のお祓いとお寺の厄除けの違い

日本では、厄年に厄払い(厄除け・厄落とし)を行う風習が定着しており、神社でもお寺さん(寺院)でも受けることができます。

寺院で行われるご祈念(ごきねん)や加持祈祷(かじきとう/ご加護を求めて仏さまにお祈りをすること。単に「加持」ともいいます。)は、災いを遠ざけ平穏無事を仏さまに祈り、ご加護をいただくことを目指します。

一方、神社で行われる厄払いは、どこからどうみてもお祓いです。

神道の「祓」は、人間が原初から犯してきた諸々の罪の償いをベースとして心身の調和(あるいは神と自分との一体感)を取り戻すことを目指すものである点で、寺院の厄除けとは性質が異なります。

なお、寺院で行われる厄除けの仏事でも、仏教宗派によってはお祓いの性質が際立って表れているものもあります。

ご注意
寺院における厄除け等のご祈念や加持祈祷の有効性を否定する趣旨ではありません。

知足さんも、仏事としてのご祈念やご祈祷の意義を決して否定してはおられません。

現に、わたしは先年仏教寺院で厄除けの御祈念をしていただきました。

ただ、真の意味でのお祓いは神社が専門的に担っているということは知っておいていただきたいと思います。

神社でお祓いを受ける際の流れ

神社でお祓い(厄払いも含む)をしてもらう場合の基本的な流れを説明します。

1.申し込み

まずはお祓いの申し込みをしましょう。

お祓いを受ける当日に社務所で申し込む方もおられますが、わたしはあらかじめ(どんなに遅くとも希望日の1週間前までに)電話やファックスなどで予約することをおすすめしています。

「お祓いをお願いしたいのですが・・・」と言えば、あとは必要な事柄を聞いてこられるはずです。

内容や日時、費用などについて、疑問を残さないようにしっかりと打ち合わせをしましょう。

神社によっては事前にあるいは当日、所定の申込書への記入を求められるところもあります。

2.お祓い当日の準備

睡眠を十分にとり、できれば起床後にシャワーを浴びるなどの禊(みそぎ)を済ませておきましょう。

「禊」とは、御神前に進み出るための準備で、心身を清浄にすることです。

お祓い当日までの食事は普段どおりで構いません。

ただ、わたしの感覚では、可能であれば肉類の摂取はふだんよりも控え目にしておかれるほうがいいように思います。

3.ご神前に進み出る

お祓いのために神社へと向かいます。

鳥居の前で立ち止まって一礼し、参道は真ん中を避けて脇を進み、手水舎(ちょうずや、てみずしゃ)で手と口を清めます。

ここでなによりも大切なのは、わたしたちの穢れを祓ってくださる神さまに対する畏れ(おそれ)と敬意、そして感謝の心をもつことです。

ここまでの作法は、過去記事の神社参拝ガイド内でもくわしく説明していますのでご一読ください。

境内に入ったら、社務所あるいは御祈祷の受付所でお祓いに来た旨を伝えましょう。

このとき、事前の予約があると話もスムーズです。

ここから先は神職さんの指示に従うことになりますが、一般的には神社拝殿の奥にある本殿へと進むことになります(これを「昇殿」といいます)。

4.お祓いの神事

いよいよお祓いの儀式がはじまります。

緊張されるかもしれませんが、必要なことは神職さんが流れに沿って指示してくださいますので心配ご無用です!

ここではお祓いの神事の大まかな流れを説明しておきます。

①修祓(しゅばつ)

まず、穢れを帯びたわたしたちがご神前でお祓いの儀式を受けることができるようにするため、神職さんが祝詞(のりと)をあげ祓え幣(はらえぬさ)を振るってわたしたちを清めてくださいます。

これを修祓といいます。

②祝詞奏上(のりとそうじょう)

神職さんがお祓いのための祝詞を読み上げます。

神さまに対して、御神威の発動によりわたしたちが犯した罪や帯びた穢れを祓い清めてくださるようお願いする内容となっています。

神職さんは、神さまとわたしたちとの間を取り持つ仲介人のような存在なのです。

③神楽奉納(かぐらほうのう)

神楽(かぐら)とは神さまに奉納する舞のことをいいます。

神社で鈴を手にした巫女(みこ)さんが音楽に合わせて踊る姿をご覧になったことがありませんか?

それが神楽です。

巫女舞いが本来の神楽ですが、小さい神社や神職さんが少ない神社では巫女舞の準備を整えることが難しく、音楽だけが演奏されたり、あるいはテープに録音された音楽を流すことで御神楽の代用とすることもあります。

お祓いを受けるときに、巫女さんの姿がなく、ラジカセから音楽が流れてきたとしても、がっかりしないでください(汗)

わたし

④玉串奉奠(たまぐしほうてん)

玉串(たまぐし)とは、切り取った榊(さかき)の枝に紙垂(しで)と呼ばれる紙や木綿(ゆう)と呼ばれるヒモを結びつけたものです。

お祓いなどの昇殿参拝の場合、神さまに対する拝礼は玉串を捧げることによって行います。

これを玉串奉奠といいます(「玉串拝礼」ともいいます)。

わたしは、お祓いを受ける際に多くの人があわててしまうのがこの玉串奉奠のシーンではないかと思っています。

玉串奉奠の作法をごく簡単に説明すると、

① 神職さんから榊の枝を受け取る(右手で根元を上からつかみ、枝の中央部分を左の手のひらに乗せる)

② 神さまに軽く一礼する(榊は①の状態のまま)

③ 榊の根元を自分の方に向けて軽く持ち上げ念を込める(両手で榊の根元を持ち、枝を少し立てる感じ)

④ 榊の根元を神さまの方に回し向けて台の上に置く(今度は右の手のひらで枝の中央部分を下から支え、左手で根元をつかんで回す)

⑤ 神さまに向かって二拝二拍手一拝

⑥ 神さまに軽く一礼して拝礼完了

となります。

榊の根元の方向を変えるときは、必ず枝を時計回りに回すのが作法です。

神職さんから「さあ、どうぞ!」と突然玉串を渡されて途方にくれたのはわたしだけじゃないはず・・・

わたし

⑤お札・お守り等の授与

お祓いの神事の後、神職さんからお札やお守りなどの授与品が授与されます。

いただいた授与品は大切に持ち帰り、お札は神棚におさめ、お守りは身につけて持ち歩くとよいでしょう。

授与品の有効期限や返し方については過去記事「おふだは?おみくじは?お稲荷さんは?神社参拝に関する知識あれこれ」をご覧ください。

神社以外でのお祓い

神社のほかにも、新興宗教団体や霊能者・占術家を名乗る個人の方などが業として行うお祓いサービスも存在します。

以前からこのようなサービスの利用に問題はないですか?というお問い合わせをいただくことがあるのですが、これはなかなかの難問です。

なぜかというと、お祓いサービス事業者には、質の良い者もあれば、とんでもなく質の悪い者もいるからなのです。

困ったことに、「質の悪い」お祓い業者のほとんどが自分自身の「悪性」を自覚していません。

ですので、お祓いなどの名目でその者に関わると、そのことを原因として新たな穢れと悪因縁を抱えこむことになるわけです。

お祓いで心身の清浄さを取り戻すはずが一層穢れてしまったのではシャレにもなりません。

 

この点、神社で受けるお祓いは、たとえその神事を執行する神職さんに多少の人格的問題などがあったとしても、神事が定められた手続きを守って行われるならば、神さまのご神威が発動して祓いの効果を得ることができます。

なぜかというと、お祓いの場となる神社そのものが伝統と格式を備えていますし、そこに奉職する神職さんも基本をしっかりと修めておられるので、神事の執行そのものに正当性が認められ、祭式面でも一定の質が保証されるからです。

ところが、神社以外のお祓い業者の多くはこのような基礎を備えていません。

こうなると、すべての根拠がそのお祓い業者個人(あるいは団体そのもの)に存在することになるので、「祓」の質がその者の霊的・人的特性に極端に左右されることになります。

そこで問題となるのが、いったいなぜその者がお祓いを業としているのか、そして、そもそも御神威の発動を乞い願う相手となる存在が正しい神(正神)であるかどうかですが、通常これらの点を見極めることはきわめて困難です。

そういうわけで、お祓いを受けに行ったはずがとんでもない穢れをもらって帰ってきてしまった!ということは実際にしばしば起こることなのです。

 

このように大きなリスクが伴うことから、わたしは原則として神社以外でのお祓いはおすすめしていません。

ご参考

ただし、お祓いの神事の進行役となる者がいわゆる審神者(さにわ)としての役割を果たさねばならないケースもままあります。

審神者とは、本来は神さまが正神であるかどうかを判別し、その神から降ろされた御神示を解釈する人の呼称です。

ですが、現代では、主に不浄の霊が憑依しているようなケースにおいて、霊の存在を確認し、その訴えを聞き、道を示して成仏へと導くなどの役割を担う人のことを審神者と呼んでいます。

わたしは、現代の神職さんの大部分が審神者の役割を果たすことは難しいだろうと考えています(むしろ仏教僧の方が適任かもしれないと思うこともあります)。

例外的にではありますが、このようなケースでは、審神者の役目を担うことのできる確かな祓え師(必ずしも霊能に秀でた者とは限りません)の門を叩く必要があることを否定できません。

お祓いを受けるときの服装は?

お祓いのときの服装は、通常の神社参拝の場合と同様だと考えてください。

つまり、本殿で神さまと対面する際に、自分が「これなら大丈夫だ」と思うことのできる服装であることが大切です。

わたしは神社参拝の基本的な服装として、白色を基調としたシャツやブラウスに、派手すぎず肌の露出が高すぎないズボンやスカートを組みあわせることをおすすめしています(男性の場合、ネクタイの着用は任意で大丈夫です)。

ふだんスーツスタイルでお仕事をされている方でしたら、その服装でお出かけになれば大丈夫です。

過去記事「神社参拝の作法まるわかりガイド〈事前準備編〉」でも神社参拝の際の服装について説明していますのでご一読ください。

なお、急を要するケースでは、着の身着のままの状態でのお祓いが必要となることもありえます。

このような場合には、お祓いを担当される方に衣服について事前に相談しましょう。

お祓いの料金(値段)は?

多くの方がお祓いにかかる費用(料金・値段)について心配されます。

その前に、神社に支払う金銭は、サービスの対価としての料金ではなく、「供物(くもつ)」として神さまにお供えするものであることを理解することが大切です。

そして、特にお祓いを受ける場合に支払う金銭には、自分の罪や穢れを償う(つぐなう)ために神さまに差し出す「贖物(あがもの/あがないもの)」としての意味があります。

お祓いの際に支払う金銭は「初穂料(はつほりょう)」あるいは「玉串料(たまぐしりょう)」という形で納めます。

金額の相場は、一般的には下は3千円から上は1万円程度までと思っていただければよいと思います。

わたしは、個人のお祓いの場合には初穂料として5千円を納めることをおすすめしています(特殊な事案である場合や、お祓いを受ける方が法人であるような場合には、1万円以上の額の初穂料を納めることが多いです)。

神社によっては、お祓いの初穂料(玉串料)があらかじめ決められているところもありますし、具体的な金額は設定されておらず「お供えの額はお気持ちで…」と言われるところもありますので、事前に確認されることをおすすめします。

お祓いには効果がある

さて、記事の冒頭にも書きましたが、お祓いには効果があります

神事に正当性があり、正しい手続きにより正神の祓えの力が発動するのであれば、お祓いの効果が生ずるというのはごく当然のことです。

お祓いの神事が終わったとき、心の奥深くに(あるいは自分の周囲に)静けさや爽やかさあるいは風が吹き抜ける感覚や自分の中でなにかが昇華する感覚などが感じ取れたならば、しっかりと祓い清められています。

もしそうでないならば、残念ながら祓いの効果が十分でないか、あるいはまったく効果が得られなかった可能性があります。

お祓いの効果がない人もいる。なぜ?

「お祓いの効果がなかった」と感じる方は案外多いようです。

それはいったいなぜなのでしょうか。

これにはいろいろな原因があるとわたしは考えています。

お祓いの力(効果)を信じていない

たとえば、お祓いを信じていない、バカにしている、という場合。

これは、神さまのご神力を信じていないのと同じことです。

多くの場合、祓いの効果というのはとても繊細かつ精妙なものなので、このような態度で臨む場合にはそれを感知することが難しいかもしれません。

ところで、日々業務としてお祓いの神事を執行する神職さん自身が、実は祓えの効果を信じていないというのは意外によくある話です。

わたしはそのような神職さんには猛省を促したいですし、ご自分が担当される祓えの神事を心を込めて、そして必ずご神威が発動するとの確信を持って司っていただきたいです。

お祓いに過剰な期待を抱いている

逆に、お祓いに期待しすぎているという場合にもお祓いの効果を十分に感じ取ることができません。

この場合には、自分の望む結果や変化に対する執着心が強すぎて、祓い清めによる微細な内心的平穏や清浄感を感じとることができなくなっていることが多いのです。

困難を受け容れることが必要な場合

また、そもそも祓う必要がない、あるいは祓い去ることができないということもあります。

祓い清めたいと思っている困難自体が、自分の人格と魂のレベルを向上させるために必要なものであることもしばしばあります。

今必要なことは、安易にお祓いに頼ることではなく、現状の困難を自分の通るべき道だととらえ、前向きに受け容れようと決心することかもしれません。

お祓いを受ける前にやるべきことがないかを考えよう

このブログでは恒例になりつつある知足さんによる「ダメ出し」ですが、この記事の公開翌日さっそく記述漏れを指摘され、この項を追記しました。

わたしは、神さまに対する畏敬と感謝の心をもつかぎり、いつでもお祓いを受けることは良いことだと考えています。

なぜなら、お祓いによって、これまでの自分の人生を振り返り、あるいは気持ちを整理して、より良い人生を踏み出すきっかけが得られるからです。

ですが知足さんは、

お祓いを受けることを考える前に、

 

ご先祖さまの霊魂に対して、また、ご縁のある霊魂に対しても、愛情と感謝の心が十分にこもったご供養をしてあげることが大切です。

 

そして、過去と現在の自分自身を認め、愛情を持ち、感謝の心を持つことが大切です。

と伝えてこられます。

まずご先祖供養(ご縁のある霊の供養も)と自分自身を受け容れることをしっかりと行い、その後でお祓いを受けることによって、お祓いが単なる依存や現実逃避ではなく、次の道をひらく真の転機となるという意味だとわたしは理解しました。

 

お祓いを受けるときにすべきこと

「お祓いの効果がない」と言う方にわたしがいつも言うことがあります。

お祓いは、お客さん然としてただ座っていればいいというものではありません。

実は、お祓いというのは、「罪・穢れを祓い清めてくださる神さま」と「祓えの儀式を司る人(神職さん)」と「祓ってもらうわたしたち」の三者による共同作業なのです。

そこでわたしたちが行うことは、

  • 真摯な心で神事に参加し、すべてを神さまに委ねようとすること
  • 祓ってくださる神さまに対する敬意と感謝の気持ちを保つこと
  • これを機に正しく生き直す(正しい道を歩く)ことを神さまに誓うこと

です。

お祓いの効果がないと感じる方は、ぜひこれらの点を心がけてみてください。

なんでもかんでも祓えばよいわけではない

インターネット上では、自分でするお祓い(「自祓い」といいます。最近は「セルフお祓い」ともいうようです。)に関する情報が見られます。

それだけお祓いに関心を持つ方が多いということなのでしょう。

もっとも、巷に転がるお祓い情報の中には、安全で非常に効果的なものもあれば、手を出すと危険なものまでがごちゃまぜになっており、とても見過ごせない状況です。

日常生活の中でできるちょっとした行為であって、健康で規則正しい生活の実現と、清潔さ・清浄さの回復・維持につながるものは、安全で想像以上に効果的な「祓え」になります

わたし

お祓いについて知足さんはこういっています。

ただ祓えば済むというものではありません。

現在の諸々の状況は、すべて起こるべくして起こるものだからです。

 

あらゆる罪・穢れは、ある原因に基づく結果であり、一度立ち止まってそれを見つめ、その先の生き方をしっかりと考えるための手がかりとなるものです。

 

このとき、ただ自分が困難から逃れたいとの思いのみで祓えをするならば、一時は困難が去ったようにみえたとしても、その後にそれはより大きなものとなって舞い戻ってきます。

もし、あなたが因果律の完全性を知って、困難を受け容れて感謝と愛を送り、神の御心にかなう生き方に立ち戻ろうとして祓えをするならば、必ず道がひらかれます。

知足さんが説くところの「困難のとらえ方」と「お祓いとの距離感」はとても重要だと思います。

ところで、「お祓い」に並んでよく見かける表現に「除霊」がありますが、これは心身に憑りついた不浄霊を第三者の介入によって「取り除く」ということをうたったものです。

しかし、「除霊」の対象となる不浄霊との接触はまさに知足さんのいう「起こるべくして起こった困難」なのであり、その困難に学ぼうとすることなくやみくもにそれを取り除こうとすればかえって大きな危険を招くおそれがあることには注意が必要です。

知足さん

なんでもかんでも祓えばいいというものではないのです

 

おわりに

お祓いに関して知っておいていただきたいことをまとめたらとんでもない長文記事になってしまいました。

実は、この記事を書くきっかけとなった出来事があります。

わたしはふだんから祓え(お祓い)を行います。ある日、外出先のビルの中で嫌な気配を感じ、危険を感じてとっさにその場で祓えをはじめました。

そのとき知足さんが「ここではやめておきなさい」と伝えてくるのをわずかに感じとったのですが、わたしはそれを聞かずに祓えをやり終えました。

その日の夜、突然悪寒と節々の痛みがはじまり、39度近い高熱が出ました。ですが、それ以外には特に風邪のような症状はありませんでした。

そのとき知足さんがこう伝えてきました。

居場所を無理やり奪われた不浄の霊の怒りの念を受けました。

なんでもただ祓えばいいというわけではないことを知らなくてはなりません。

不浄の霊といえども縁によって引き合うのであり、その意味を吟味することもなくただ払いのけようとするのは誤りです。

明日の朝には熱は下がっていますから心配いりません。

明日は、まずこの霊を供養してから祓えをしましょう」

翌朝目を覚ますと嘘のように熱が下がっており、体調は完全に回復していました。

帰宅後、わたしなりに霊魂を供養し、その後に祓えを行いました。わたしの身には、それ以降なんの異変も起こっていません。

「なんでもただ祓えばいいわけではない」というこの説示によって、わたしは祓え(お祓い)の有効性と注意点について深く考えさせられたのでした。

この記事が、お祓いを考えておられる方やお祓いのことで悩んでおられる方のお役に立てば幸いです。

 

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