7月・8月は霊魂の活動が非常に活発になります。お盆には死者の尊厳にも思いをはせ、敬意を持って過ごしましょう。

日本を襲い続ける自然災害などの災厄をどのように受けとめるべきか?

異常気象による自然災害が立て続けに日本列島に襲来しています。

2019年8月28日、西日本の九州地方北部を中心とする集中豪雨によって、大規模な冠水・浸水被害が発生しました。

この豪雨を原因とする死者や重体の方も出ています。

 

昨年(2018年)7月には、西日本を中心に260人を超える人命を奪った集中豪雨災害(「平成30年7月豪雨」)が発生したばかりですが、わたしたちは今再び無慈悲に襲い来る自然災害の恐ろしさを目の当たりにしています。

このようななかで知足さんから、

「頻発する自然災害に巻き込まれたとき、そのことをどのように受け止めるべきなのかについて、すべての人が知っておく必要があります」

とのメッセージを受けとりました。

そこでこの記事では、

  • 近年立て続けに発生する大規模な自然災害の意味とは
  • 自然災害に巻き込まれた場合の受けとめ方
  • 自然災害の影響を受けずに済んだ場合の受けとめかた

について説明します。

自然災害の意味とは

ここでは簡単に説明するにとどめますが、知足さんの伝えるところによると、自然災害とは、この国において人的物的に生じたさまざまな「歪み」を本来の状態へと復旧するため、大宇宙の法則にしたがって自律的に執行される大掛かりな祓い清めである、ということになります。

大地を激しく揺らし、マグマを噴火させ、大雨を降らせて大水を流し、台風を生んで暴風を吹かせ、またときには大火を起こすことによって、国と人を祓い清め、歪みを正し、本来あるべきかたちを回復しようとするのです。

日本は今のままの状態であってはならない、大規模な自然災害にはそういうメッセージがこめられていることを知ってください。

自然災害の意味・意義についてはこちらの過去記事に詳細を書いておりますのでぜひご一読ください。

自然災害に巻き込まれてしまったとき

災害によって、自分自身あるいは身近な人の生命・身体・財産が傷つき損なわれたとき、あるいはそのような重大な危険に直面したとき、わたしたちはその事実をどう受けとめればよいのでしょうか。

この場合、わたしたちは多くを考えることができません。

なぜなら、なによりもまず差し迫った危険から生命・身体を最優先で守らなくてはならないからです。

そして、危険が過ぎ去ったとしても、混乱、恐怖、悲しみによって心が満たされてしまいますい、完全に心が閉ざされてしまうこともあるからです。

 

もし危機を脱して物事を考える余裕が与えられたならば、この度の災害が大自然の祓い清めの一部であること、そして、これで終わりなのではなく、わたしたち自身の「あるべき」生き方を真剣に考えなければならない状況にあり続けていることを、深く心に刻み込むことが大切です。

とはいえ、すでにこのような災害に遭われた方々にはこのようなことを申し上げる必要はないかもしれません。

自らの体験と多くの犠牲から、命とはなんであるか、生きるとはどういうことか、本当に大切なものがなんであるかについて、我が身をもって、あるいは大切な人の命をもって、十分に学ばれたはずだからです。

被災により多くのことを学ばれた方々は、悲しみを乗り越えて、これからの新しい日本の国を、そして、この国の本来のあり方を、その生き方を通じて示していかれるのです。

災害に巻き込まれずに済んだとき

実は、直接災害に巻き込まれることなく、遠くにいてその惨状を眺めているわたしたちにこそ、求められている大きな課題があることを知らなければなりません。

なぜなら、わたしたちはほとんどの場合において、

「このあたりには影響がなくてよかったねぇ」

「大変だねぇ」

「かわいそうだねぇ」

で終わらせてしまい、その出来事の真の意味とメッセージを読み解きもせず、これまでとなんら変わらない生き方を継続させてしまうからです。

 

国土の祓い清めである自然災害は、国土そのものだけでなく、そこに存在するすべての人間の意識を本来あるべき正常な状態に復させようとするものです。

つまり、祓い清めの対象となる人というのは、この国土にいるすべての人なのです。

この祓いの過程は、多くの人命や財産を一瞬で喪失させるほど強大なチカラをもって執行されるのですから、直接その害に巻き込まれることなく、安全な場所にいてそれを傍観していられるということは、それ自体が計り知れない恩寵(おんちょう)であることを知らなければなりません。

そして、この恩寵とは、災害に巻き込まれた人々の壮絶な体験を通じて命の尊さとはかなさを知り、生きることの意味とあるべき生き方についてあらためて考えるための機会を与えられているということです。

 

今、生きる意味を考える「機会」といいましたが、これは誤解を招く表現かもしれません。

正しくは、この時を逃せばこの人生においてはもう二度と学ぶ場が与えられないかもしれない、無駄にすることの許されないチャンスなのです。

その意味では、「機会」ではなく「猶予」と表現するのがより正確でしょう。

 

この猶予期間にわたしたちがしなければならないこととはなんでしょうか。

まず、わたしたちは、遠くで起きた災害と多くの犠牲を通じて、自らの生き方を省みて命の重さとはかなさ、財物に過剰に執着することのむなしさを学び死」を前提に人間として正しく生きる決意をしなければなりません。

また、「正しい生き方」とはなにかについて真剣に考えなければなりません。

そして、これらの考えに基づく具体的な行動のはじめの一歩を踏み出すことを求められているのです。

「行動」といっても、なにも被災地に巨額の寄付をすることや、仕事や家庭を投げ打ってボランティアとして駆けつけることばかりがそれではありません。

すべての人が、それぞれの立場で、学んだことをいかして新たな人生を「生き直す」ことが大切なのです。

それは、明るい心を持とうと努力することかもしれません。

家族の話をただただ笑顔で聞くことかもしれません。

だれにでも元気にあいさつをすることかもしれません。

枯れかけている植木鉢に水をやることかもしれません。

困っている人がいたら勇気を振り絞って声をかけてみることかもしれません。

わたしたちは、心の方向さえはっきりさせることができれば、なにをすべきかは自然と悟るようにできていますので、なにをすればよいのだろうと思い悩む必要はありません。

 

次に、災害が大自然による祓い清めの執行であることを認め、大宇宙・大自然の意図(目指している方向性)について考え、それに致した生き方(それが人の「あるべき生き方」です)を実践していかなければなりません。

そのうえで、自分にできる範囲で構いませんから、災害に巻き込まれて犠牲となった人たちを弔い、生き残った人々に寄り添って復興を支えることです。

 

とはいえ、傍観者がこれらのことを行うことはきわめて難しいというのが現実です。

ただ傍観するだけでいたらある日突然自分が当事者として大災害に巻き込まれあれこれ後悔させられる、そういう方が少なくないことを肝に銘じておきましょう。

テレビの向こうに広がる惨状は決して「対岸の火事」ではありません

他人事を我が事とする意識が大切です

わたし

正しい生き方は大災害を遠ざける

以前知足さんから教わったことなのですが、わたしたちが「人としての正しい生き方」を真摯な心で追求し実践すると、自然災害などの災厄の回避や減災につながるといいます。

このはなしについても上記にご案内した過去記事の中で触れております。ぜひご一読ください。

また、正しい生き方とはなにか?という点はとても難しい問題なのですが、これに関しては、次の2つの過去記事の中で(部分的にではありますが)触れておりますのであわせてご一読ください。

 

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