7月・8月は霊魂の活動が非常に活発になります。お盆には死者の尊厳にも思いをはせ、敬意を持って過ごしましょう。

「正しく生きること」はとても単純なことである。しかし実践は…。

はやくも本格的な夏の暑さがやってきました。

未だ6月ではありますが、ニュース番組などを通じて連日「熱中症」に関する報道や注意喚起が繰り返されており、特に小さなお子さんやご高齢の方、またペットの体調管理には十分な注意をする必要がでてきました。

また、すでに梅雨入りした地方もあり、大雨や長雨による災害を心配される方も多いことと思います。

令和の最初の年がすべての人にとって穏やかで安らかなものとなるよう、心から願うばかりです。

 

さて、新時代・令和時代を迎えてひと月が経ち、奉祝ムードに沸いた日本の国はようやく落ち着きを取り戻したように感じます。

他方、この国の各地で悲惨な交通事故や凶悪な刃傷事件が相次ぎ、わたしたちは災害被害の場合とはまた質の異なる様々な局面を通じて命の大切さについてはもちろんのこと、人間本来の生き方についても考えさせられています。

 

今回は、この「生き方」に関して参考になりそうな知足さんの説示をご紹介します(やや長めです)。

もくじ

正しい生き方は宇宙の真理・法則の中に示されている?

知足さんは、

「人間本来のあるべき生き方とはきわめて単純なもの(シンプルの意)なのですが、なんでも難しく考える習慣が確立していて頭でっかちになってしまっている優秀な人たちの多くはそれを見過ごし気づきません。

あなた方が認識しておられるこの世界には、さまざまな形で大宇宙の真理が表現されています。

それは、一般的には価値を低く見積もられ、十分な評価を受けていないものの中にも、一切の分け隔てなく、おそるべき完全性をもって表現されています」

といいます。

 

また、

はるか昔(古代?)に生きた人々は、そのような大宇宙の真理の表現をこと細かに認識しており、それゆえに畏れ(おそれ)の心をもって大切に扱ってきました。

古くから伝えられてきた教え(教訓を込めた物語などを指すと思われます)や伝承(伝説の類だと思われます)は、頭でっかちの人々にとっては聞いていて眠たくなるかあるいは吹き出してしまうような昔話かもしれません。

ですが、それらの中には、かつて大宇宙より示された不変の真理が散りばめられていることがあるのです。

古い物事に敬意をもって接し、そこから何事かを学びとろうとする謙虚な姿勢が、今のあなた方の世の中には必要です」

ともいっています。

真理を広めるためのムーブメントとその顛末

知足さんは次のようにもいっています。

「この国では、昭和から平成初期にあたる時期に、超自然的とされている種々の『現象』を示す形で大宇宙の真理の一部を広めることが企図されていました。

ところが、そういった『現象』面の比重が異常なほどに高くなってしまい、肝心の大宇宙の真理の伝播はごく一部にとどまり、むしろ不浄の霊や呪詛を題材とした事象が耳目を集め、畏(かしこ)まるという意味の『畏れ』(おそれ)とは程遠い、興味本位の猥雑な『恐れ』や疑いの心を多くの人に植え付けました。

 

これにより、本来全ての人が理解すべき大宇宙の真理が、『神秘』の名のもとに嘲けり卑しみの対象とされてしまったのです。

 

また、現象面から大宇宙の真理に触れた一部の人たちは、それが本来自分の中に秘められた力を引き出すきっかけとなるものであることを知ることもなく、霊的指導者ないし教義とされるものに対する外的依存を引き起こし、かえって自分自身の本来的な力を弱めてしまいました。

 

大宇宙の真理とは不変の法則と恩恵のことをいうのであり、世界の古今の宗教の中にも、猥雑な関心を生じさせるつまらぬ現象の中にも、また、古来より伝承される種々の物語や訓話の中にも潜んでいます。

 

そして、それは、宗教・現象・伝承などといった物々しい衣をはぎ取ってみれば、なんということはない、誰もが耳に聞けばあたりまえだと感じる程度の、すでに言い古された至極当然で単純なものなのです。

それは、心身を過度に痛めつける行を経て、あるいは、巨額の布施と引き換えにすることで、ようやく会得できるというような性質のものではありません」

 

そういわれてみれば、わたしがまだ子どもだった頃(昭和のおわりから平成のはじめあたり)、テレビの地上波では、今では考えられないような怖い怖い心霊番組や人が殺傷されたり呪いが発動してしまうような映画がたくさん放送されていたのです(平成のいつの頃からか、その手のテレビ番組はぐっと減りました)。

そういうテレビ番組が毎週夜になると流れていましたから、全国の子どもたちやその手のものが苦手な大人たちは大変な恐怖感やネガティブな印象を植え付けられてしまったであろうと思われます。

また、そういうものを好んで視聴していた方の多くは、きっと単純に娯楽としてのスリルを楽しんでおられたのではないでしょうか。

 

また、昭和平成は、さまざまな宗教が興っては消えていく時代でもありました。

ご利益を謳って信者さん方から巨額のお金を集めた宗教家がたくさんおられたようです(そういう方々がのちに検挙されて破滅していくのを何度もニュースなどで見た記憶があります)。

 

いずれにしても、このような状況を見ると、この時代に宇宙の真理なるものを知り得て、それにしたがって本来あるべき正しい生き方を実践できたという方は案外少なかったのではないだろうかとつい考えてしまいます。

 

わたしは、宇宙の真理とか法則というものが私たち人間に正しく伝えられておらず、いわゆる「オカルト」として受け止められるにとどまっている現状をみて、また、真理が人間の本来持っている力を引き出すものであることを知らずに盲目的な依存心を起こした人々がかえって本来の力を失ってしまっていることについて、知足さんが大変な危機感をもっておられるように感じます。

真理はシンプル。正しい生き方もまたシンプル。

知足さんは、

「真理とはとても単純なものであり、その真理にのっとった生き方こそが人のあるべき生き方だと言えます。より良く生きるとは、とても単純なことなのです。

それにもかかわらず、多くの人が生き方に悩み頭を抱え、心を痛めて道を踏み外しているのが現状です」

といっています。

 

思えば、前回の記事「疲れは人間の発する波長を狂わせ、道を踏みはずすきっかけにもなる」でご紹介した日常を力強く生きるためのルール(のようなもの)は、ごくあたりまえで、しかも昔から推奨され続けているような単純な行動がほとんどです(たとえば、毎日きちんとお風呂に入って体をきれいにするとか、ごはんは感謝していただくとか、部屋の掃除をして布団を干すとか、世のため人のために行動するなど)。

疲れは人間の発する波長を狂わせ、道を踏みはずすきっかけにもなる

 

これを見ると、日常生活の質を高めるために大切なことというのは、とても単純でちょっとしたことなのかも知れないな〜という気持ちになります。

 

とはいうものの、わたし個人のことを言えば、そのように「単純」な「ちょっとしたこと」であるはずの物事のひとつひとつが、いざ実践という段になるとどういうわけかいつの間にか「複雑」な「大事」になってしまうのです。

それはいったいなぜだろうかと、知足さんの説示を頭の中で反芻しながら考えてみるのですが、いまだにわかりません。

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