天皇陛下の御即位を祝うパレード、読者のみなさんはご覧になりましたか?
東京は天候に恵まれ、素晴らしい式典となったようで本当によかったです。
わたしはテレビでパレードの模様を拝見したのですが、祝賀御列の儀が無事に終わったのを見て、なぜだか胸を撫で下ろすような気持ちになりました。
わたしのほかにもそのような心境でパレードを見守っておられた方がきっとおられただろうと思います。
もくじ
令和時代最大の神事・大嘗祭はいよいよです
新天皇陛下の御即位に関する行事はこれで終わりではありません。
明日11月14日と明後日15日には、いよいよ大嘗祭が執り行われます。
大嘗祭が無事に終わるまで、わたしたちもしっかりと気を引き締めましょう。
なによりも、温かく穏やかな丸い心、譲り合う心をしっかりと保って生活することが大切です。
「場」を支配しようとするのは大きな過ちです
このタイミングで、知足さんからこの表題のようなメッセージを受け取っています。
「場」とは、わたしたちの各々が今現在(過去も含むでしょう)立たされ直面させられている「状況」のことです。
わたしたちは誰もが、自分の置かれた「場」をそれでよしとするのはなかなか難しいことです。
そこで、やはりわたしたちのほとんどが、その「場」を自分の都合に合わせて支配・操縦(コントロール)しようと大変な労力を注ぎます。
この自分の都合とは、見栄や欲望、あるいは恐怖感かもしれません。
理由がなんであろうとも、自分の都合によって「場」の支配や操縦を試みる行為は、多くの場合において重大な問題を含んでいます。
わたしたちがやるべきことの第一は、過去も含めた自分自身の現状、つまり置かれている「場」を確認し、しっかりと受容することです。
それを丁寧に観察し、「受け容れよう」、「引き受けよう」との気持ちでその「場」に臨もうとして腹をくくるときには、そこにある物事やそこにいる人々に対する愛情や感謝の念も湧き上がってくるのです。
そしてこのとき、それまで障害のように思えてならなかった物事の大半は、実はすでに消滅しているのです。
反対に、その「場」を否定し、役割を拒絶するならば、そこに観念された困難や障害は手を変え品を変え、いつまでもどこまでも、わたしたちを追いかけ続けてきます。
そうなってしまうと、そこから抜け出すことは大変難しくなります。
苦しみや絶望、怒りや憎しみなどの気持ちで凝り固まると、その先どこへ進んでみても同様の世界へとつながるわけです。
こうなるとこの世に生きながらにしてその「場」は地獄となります。
この地獄に転落した者は、ますます邪な心に支配され、また魔に魂を食われることによって正常な判断力や倫理観を喪失し、ついには自他を重篤な危険に至らしめる事態へと発展することも少なくないのです。
青森・八戸の殺人未遂事件
昨日、青森県八戸市で、男子中学生が小学生の女児の首を切りつけるという恐ろしい事件が発生しました。
知足さんはこれを大変な事態だと認識している様子で、これも「場」を受け容れようとせず、そこに正しい道を見出そうともせず、受容を拒絶して「場」の支配を選択しようとした者が魔物に絡めとられた構図を伝えてきています。
さらに、子どもがこのような過ちを犯してしまっている点を問題視する意識と、このような状況に至ってしまっていることについての焦りのようなものも伝わってきました。
新時代のはじめだからこそ、わたしたちは目を覚さなくてはいけない
「場」を自分の損得や負担の軽重などのような自分勝手な都合でコントロールしようとすることがとても危険なことであることを理解しなくてはなりません。
そして、その「場」を「これでいいのだ」という心で生きることは、今の自分(過去の自分も)をありのままに受け容れることと同じであり、そこにこそ新たな道がひらかれるのです。
新しい時代を生きるわたしたちは、今だからこそ、新しい思考と生き方を選択する必要があるのだということを、知足さんは熱っぽく伝えてきています。
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