7月・8月は霊魂の活動が非常に活発になります。お盆には死者の尊厳にも思いをはせ、敬意を持って過ごしましょう。

その食事、本当に必要ですか?食事の必要性と適正な量について考える

なぜ食事が必要か




わたしは食べることが大好きです。

おいしく食べるために生きているといっても間違いではありません。

ところが、このところ知足さんが食事に関して頻繁にものいいをつけてきております。

さきほどわたしが入浴しているときのことです。

(注:知足さんは、なんとわたしが入浴しているときによくやってくる。)

 

知足さんは、

 

なぜ食事が必要なのかをよく考えてみてください。

食べたいから食べる、楽しみのために食べるのならばそこには問題があります。

食べる必要があるから食べるのでなければなりません。

食事には、必要性と適正な量があります。

 

というのです。

正直なところ「え、また…?」と苦々しく思いましたが、わたしは食べることが喜び・幸せであるという人間なので、「食べたいから食べるのは問題」という説示に思いっきり反応してしまいました。

そして、食べる必要(食事の必要性)とはなにかについては、

 

食事は、生きるために必要です。

生きるため、つまり行動するために、食べなければなりません。

 

といいます。

「行動」の意味については以前「食べることと動くこと」という記事にも書いたのですが、平たくいうと、世のため人のために力を尽くすという意味だと受け取っていただいてよいと思います。

つまり知足さんは、食事とは、世のため人のために行動するために必要なのだというわけです。

長年食事そのものを大きな楽しみとして生きてきたわたしにとって、これは非常に耳に痛い説示です。

食事の適正量

さらに知足さんは、食事の必要性から食事の適正量が決まると説いています。

つまり、食事の適正量(必要量)とは、世のため人のために行動するために必要な量、ということになるわけです。

ほんの数日前、わたしは知足さんから食べ過ぎを指摘され、世のため人のために動くのでなければもっと食べる量を減らせといわれたばかりなのでした。

 

知足さんはいいます。

 

適正量を超えてエネルギーを蓄えてはいけません。

過剰に蓄えたエネルギーは使い切らなければなりません。

 

わたしはかねてから食事の見直しを考えていたのですが、偶然の出来事が重なったこともあってごく自然に一日一食生活に取り組むことになったのでした。

三連休のあいだに完全に三食(+間食つき)生活に戻ってしまい、一食生活を再開した今日は一日中空腹感が強くて辛いのですが、これまでに過剰に蓄えたエネルギーをできるだけはやく使い切るためにもここはなんとか耐えたいところです。

とはいえ、一日一食にすべきとの説示があったわけではありませんし、わたし自身も一日一食をおすすめしているわけではありません

健康状態や服薬の都合などによって一日三回しっかりと食事をとらなければならないという方もおられます。

健康に不安をお持ちの方は、なによりもまず医師等専門家の意見にしたがって体調の維持を図ることを最優先とし、できる範囲で少しづつ食事の量や内容を調整されることが大切だと考えます。

 

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