7月・8月は霊魂の活動が非常に活発になります。お盆には死者の尊厳にも思いをはせ、敬意を持って過ごしましょう。

ローマ教皇の訪日に思う、原爆投下とそれによる惨禍のもつ真の意味

出雲の国は雨が降るたびに寒くなっていきます。

読者のみなさんは体調を崩したりしておられないでしょうか。

これから慌ただしい師走へと進んでいきます。

心身の調和を第一としながら、令和元年を無事完走したいものですね!

もくじ

ローマ教皇の来日と核廃絶のメッセージに思う原爆投下の意味

広島市の原爆ドーム

来日中のローマ教皇は、本日も精力的に行動されており、東京で安倍総理大臣との会談に臨まれたそうです。

教皇さまは核兵器の廃絶と真の平和を訴えておられます。

 

これはあまり書きたくないことなのですが、昭和20年(1945年)のわが国への原子爆弾の投下は必然であったと、6年くらい前に知足さんが伝えてこられたことがありました。

知足さんには、以前から原爆投下と太平洋戦争終結の頃のはなしについてたびたびきかされていますが、正直なところわたしにはまだまだ受け容れ難い内容が多く、したがって現状ではブログに書くことができません。

 

原爆といえば、知足さんが現れて以降、わたしは数年おきに広島市の原爆ドームまで連れて行かれています。

知足さんはそこでわたしに「感じなさい」といいます。

 

知足さんは毎回こういってきます。

「この会館とそこを流れる川を見てごらんなさい。

なにを感じますか。なにが見えますか。

多くの先人たちはあなたになにを伝えてきますか。

これからの生き方をしっかりと考えなければいけません。

迷ったときにはまたここへ足を運ぶことです」

 

それから、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に行きます。

そこでは、わたしは必ず慰霊碑に向かって最敬礼をするよう促されます。

わたしが慰霊碑にお参りするときは、なぜかたいてい周囲にはあまり人がいないので、落ち着いて頭を下げることができます。

 

わたしの慰霊の姿などは別にどうでもいいことなのですが、知足さんが伝えようとしていることは、現代を生きるわたしたちにとっての原子爆弾の投下とそれによってもたらされた惨禍というのは、「生きるとはどういうことか」、そして「ではどのように生きるべきなのか」についてわたしたちが考えるうえで、常に基点とすべきものであるということです。

正しい国づくりが行われているかをチェックせよ

冒頭でローマ教皇と安倍総理大臣の会談について触れましたが、知足さんは現代日本の政治のあり方は「大神の御心に照らせば、はなはだ不十分である」といっておられます。

わたしはここで政治的な言論を行いたいとはまったく考えていないのでこれ以上は書きませんが、知足さんはわたしたちに向けて

「あなた方の世の為政者が大宇宙と大神の御心にかなう国づくりを進めているかを常に監督し続けていかなくてはいけません」

と伝えてきておられます。

わたしが書いているという気はしません

なんということでしょうか。

今日もまた、わたしは自分が書きたい内容の記事を書き始めたはずなのに、またもやまったく意図しない内容の文章を書いています・・・。

まあ、これはつまり、知足さんが今読者のみなさんに伝えたいことをわたしに(ほとんど無意識のうちに)書かせているということなのだと思います。

わたしは自分が書きたい内容のタイトルを考えてすでに入力していますが、タイトルと本文がまったく一致しないという事態が生じています(タイトルは記事の公開前に無理やり考えて書き直しました)。

このようなことは、もうこれで3回目くらいではないかと思います。

ちなみに、こういう状態で文章を書くときというのは、そうでない場合に比べて、体感で3倍速程度のスピードで書くことができますし、まったく疲れません。

不思議です。

自分で自分の書きたいように文章を書いているときは、おそろしいくらいに時間がかかってしまいます。

 

次回こそは、わたしが書こうとしていた内容の記事を書くつもりです!

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