突然ですが、わたしは、このブログでお知らせする情報のなかでこれは良い!と心から思えるものについては、まず自分自身で実践してみることが大切だと考えています。
そして、わたしは最近「ありがとうございます」の言葉と言霊のはなしを続けて書いているのですが、わたしはそれをとても良いことだと考えているからです。
どこにいても、誰に対してでも、平和で穏やかな気持ちで「ありがとうございます」と声に出して伝える行為は、とてもすてきなことだと思います。
そこで、「ありがとうございます」の発声を家庭と職場で実践しよう!と決意したのでした。
・・・とここまでは前置きでして、ここからが今日の記事の本題です。
もくじ
この1週間「ありがとうございます」を心を込めて言い続けてみた
わたしは、今週一週間、家と職場におきまして、朝から一日中気合いを入れてあいさつをしまくっておりました。
果たしてその結果は・・・?
とくになにも変わりませんでした・・・(汗)
得たものがあるとすれば・・・
一週間休むことなく感謝の気持ちを保ち続け、どんな状況にいても、どんな相手に対してでも、いつでもかわらずに穏やかな心で感謝の言葉をかけ続けるということがどれだけ大変なことであるかを身をもって理解したということくらいでしょうか。
4日目にあたる木曜日からは、「あいさつ疲れ」が出てきてボーっとする瞬間が増えていきました(ちなみに、わたしはこれまでの人生で「あいさつをしすぎて疲れました」などと言う人に会ったことがありません)。
そして今日、ボーっとしすぎてついに無心状態となったそのとき、知足さんからのメッセージを受け取りました。
「必死に感謝のことばを唱えることで得られるものがあるとすれば、それはあなたをさらに必死にさせるものごとです」
知足さんの指摘その一
ガーーーーーーーーン・・・( ;∀;)
そうでした。
わたしは大事なことを忘れていました。
今週のわたしには二つの問題点があったのです。
問題点その1
今週のわたしは、「ありがとうございます」と発声することにこだわりすぎていて、完全に執着の人(心が囚われている状態)に成り下がってしまっていたのです。
この状態の最大の問題は、今現在のそのとき(いわゆる「今ここ」)をしっかりと受け容れて生きている状態ではない、ということです。
問題点その2
ほとんどの場合に執着は脳波をあげてしまうと知足さんはいいます。
知足さんは、想いがことば(とおこない)によって実現していく過程においては、脳波が低く保たれていることが重要だといいます。
今週のわたしは脳波が高すぎたようで、事実ふだんよりも夜の睡眠が浅く、またちょっとしたことでイラっとしてしまうこともあったのです(内心では、ひたすらおだやかに「ありがとうございます」と言おうと意識し続けているのに!です)。
どうやらわたしは「ありがとうございます」の言葉を発することに執着しすぎてしまい、そのせいで想いがことばとおこないによって実現する流れを自分で妨害してしまったようなのです。
気合が入りすぎたことによるうっかりミスだといえなくもないのですが、長年知足さんから教わっている身としては、こういうことは大変恥ずべき失態です。
わたしとしてはこれだけでもショックだったのですが、真の問題はそのあとにやってきました。
知足さんから、さらに次のようなメッセージが届いたのです。
知足さんの指摘その二
「あなたは『コトダマ』の意味をお忘れのようです。
あなたがおっしゃっていることの多くは『ことば』についてです。
もちろん、すべての『ことば』は、その要素としての『コトダマ』を含みます。
しかし、そうだからといって、すべての『ことば』を『コトダマ』であるとすることは誤りです」
ガガーーーーーーン・・・Σ(゚д゚lll)
わたしは、口から発するすべての言葉が言霊なのだと思い込んでいたのですが・・・
そして、知足さんは最後にこういわれました。
「この世にあるうちに、『コトダマ』についてしっかりと学びなおす必要があります」
チーン・・・( ˘ω˘ )
わたしが言霊について語るなど100年は早かったのかも。
ですが、考えてみれば、知足さんは「言葉(知足さんの表現では『ことば』)」と「言霊(知足さんの表現では『コトダマ/コトタマ』)」を区別していると見てもよいのかもしれません。
これまでの記事で「ことば(言霊)」という表現がありますが、
ことば → 知足さんの表現
言霊 → 解釈によるわたしの補記
となっています。
これまで知足さんが「ことば」と表現している部分は、やはり文字どおり「ことば」として受け取り、知足さんのいう「コトダマ」とは区別して考えるのが正しいのかもしれません。
「コトダマ」とはなにか
かれこれ10年近く昔のことですが、知足さんから「コトダマ」のはなしをきかされたことがあるのです。
そのときの内容はもうほとんど忘れました(汗)
「アイウエオ」のような文字のひとつひとつが持っている意味や、音と音が組み合わさって言葉(日本語)ができているというような内容だったとおもいます。
よく覚えているのは、ひとつひとつの文字が神話と深く関わっているというはなしです。
わたしの脳内になんともいえないロマンの香りが漂ってきて、非常に関心が高まったのでした。
ただ、その頃のわたしは知足さんのいわれることを理解するための基本的な知識が少なく、また、今ほどは安定して知足さんのメッセージを受け取ることができなかったので、負担が大きすぎてそのはなしは途中で取りやめになったはずです。
それを今から勉強しなおせとは・・・
ちょっと辛いです;;
(またはなしが進んだら記事にするかもしれません)
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